●更新日 06/20●
関連記事(1 2 3 4 5) 事件が起きてから、私はすぐにその場を離れました。 しばらくすると丁度親子と見える女性二人の乗った車が目の前を横切って駐車場に入ったので、その人たちに助けを求めました。そこで110番通報をしました。車内に入れてもらった途端に悲鳴がでて抑えられなくなりました。 そのあと警察の人たちがきて現場検証のために事件現場に戻ると言われ、一緒に車に乗りましたが、ずっと声がでたまま、ほとんど理性がなくなった状態になっていたように思います。 事件のときは泣かなかったのに、保護されてからは堰をきったように泣いていました。 それから○○医大○○病院に行きました。証拠を取るためにジーンズを脱いだ時に事件現場の砂利が一緒に落ちてきて、それがどうしようもなく悲しく感じたこと以外、治療のことはよく覚えていません 洋服は全て物的証拠として提出するので、このとき警察の方が、被害者用の洋服をもってきてくれました。 こういう場合のための一式だそうです。こういう配慮にとても感謝しました。 警察に行くと取り調べが始まりました。 犯人に顔を見るなといわれたため、似顔絵でどうしても鼻より上が思い出せず、言葉遣いも流暢な日本語の外人だった気がするのがあやふやになってきて、なかなかうまく説明ができませんでした。 画帳を貸してもらって、自分で犯人の絵を思い出せる限り描きました。 その日から毎日警察から電話がきて、取調べが始まりました。 警察には家のすぐそばまで車で迎えにきてもらいました。事件直後には地域に警戒網がしかれて、不審人物や、私の人相書きにあてはまる人を職務質問で調べたそうです。何十人かの写真を渡されて、犯人がいるかと聞かれました。 その中に犯人らしき写真がありましたが確証がもてませんでした。 警察の取り調べをしている間はずっと机の下でハンカチをひいて腕を切っていました。 更に事件の現場に遺留品があったため、私の唾液や血液の検査、毛髪からのDNA採取などをしました。DNA検査のために4本の毛根が必要だったのですが、栄養不足で毛根が髪の毛についてこなくて、一日中かかりました。小さいコンビニの袋が私の髪の毛でいっぱいになりました。 事件があってから人と一緒にいてどうしても食べなくてはならない(食べないとおかしい)場合以外は食べ物を食べなくなりました。 食べなくても動けるし、腕を切っても痛くないので、どんどん私は痩せていきました。自傷行為もどんどんエスカレートしました。 心療内科が見つからず(※)、いくつもの病院をまわっていました。 ※編集部注 病院側とAさんの治療における信頼関係が構築出来なかったことによる そこで実感したのは、性犯罪被害者は理解されにくいということです。 毎回違う医師に犯罪被害のことを打ち明けるのには苦痛が伴いました。 それから性犯罪被害者と分かると、治療を断られる場合も何度かありました。 精神安定剤もそれまで飲んだことがありませんでした。 当時私は大学生だったのですが、事件後、大学に通うことが困難になり、事件後2ヵ月目には通うことが出来なくなってしまいました。 家でもほとんど喋らず、自傷行為を繰り返して、体重が30キロ台に落ち込んでいました。 事件前(→がAさん) 事件直後 事件後2ヵ月にて体重が20kg以上減少。大学の友達でも気づかなくなったとか。そして繰り返す自傷行為に失語症状(話せなくなること)、このままでは生命の危機が有るかも知れないと思った家族により、事件から2ヵ月半後、精神医療センターに強制入院することになったそうです。 そこでの“医療行為”はまた酷いものなのですが、それは別の機会に。 たった一度の事件が、5年以上経った今でもAさんの重い傷となって残っています。事件後はどれほどのものだったのか、手記から少しでも感じ取ることが出来れば…と思い、Aさんに書いて頂きました。 山木 |
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