●更新日 12/30●


「フランダースの犬」は負け犬の象徴?


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「フランダースの犬」といえば、日本では大半の人々に知られている有名作品。この作品が、なぜ日本人に高い評価を受けているのかということを検証した作品「フランダース」と、同作品を監督した人物のコメントが大きな反響を呼んでいる。

「「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画」と題された記事が、読売新聞に先頃掲載された。「フランダースの犬」を検証する映画「パトラッシュ」を監督したディディエ・ボルカールト氏は記事中で、「フランダースの犬」はヨーロッパでは「負け犬の死」としてしか評価されてこなかったと述べている。一方、主人公ネロと忠犬パトラッシュが力尽きたアントワープ大聖堂で、作品に登場するルーベンスの絵画を見上げ、多くの日本人が涙を流しているのを見たという。
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記事によると、「フランダースの犬」はアメリカでも過去5回ほど映画化されているが、いずれもハッピーエンドを迎える設定に変更されていたとのこと。日本人との反応の違いを検証したこの映画では、多くのインタビューや資料調査を重ね、日本人の心に潜む「滅びの美学」というキーワードに行き着いたという。プロデューサーのアン・バンディーンデレン氏は、「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と述べている。
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このような評価について、コミュニケーション論を研究する社会学者に話を聞いてみた。
――読売の記事に掲載されていたような評価は、いかがでしょうか。
「欧米の人々の日本人像が投影されている気がします。つまり、日本人研究としてのこの作品自体が、実際には彼らの日本人像を再生産して強化する結果になっているということです。」
――彼らの言う「日本人」と我々の実感には距離がある気がしますが。
「そうですね。信義や友情のために敗北や挫折を受け入れる崇高さ、滅びの美学なんて言われても、あまりピンとこないと思う人が少なくないでしょう。欧米の視点では、武士道や戦時中の特攻兵などが、日本人らしさを体現するものとして理解されているのかもしれません。」
――では、「フランダースの犬」に日本人が共感する理由とは?
「一概には言えませんが、とにかく勝つことを目標とする欧米型の個人主義が日本では弱いことと無関係ではないと思います。彼らの多くは、負けることや目標を達成できないことに否定的な評価を与えるようです。それに対して日本では、「負け犬」が流行語になって肯定的な意味さえ持つなど、「負け」は必ずしも否定的な意味を持ちません。なぜかというと、個人主義が不徹底で集団性の強い社会では、負けや失敗が致命的なものにはなりにくいからです。自分が所属している集団や集団内の人間関係に支えられている限り、一度の負けや失敗で全てが台無しにはなりにくいのです。不祥事が発覚した企業や政治家、芸能人が何度でも復活して、いつの間にか人々に受け入れられているという状況の繰り返しも、そういうことと関係があるように思えます。彼らの失敗や犯罪行為が美化されて、感動の物語に仕立て上げられることさえありますよね。」
――この映画を、どう評価しますか。
「日本人像を描くという点では失敗だと思いますが、欧米人はこういうふうに我々を捉えている、という理解には役立つでしょう。もちろん、我々だって欧米人に対して、気づかないうちに同様のことをしているはずです。そういう互いの「誤解」があることを知っておくこと、その中にある肯定的な要素を逆にうまく利用すること、これは外交を成功させる秘訣でもあります。」

そういえば、日本のアニメは「cool」だと言う外国人が多いと聞く。「ジャパニメーション」の海外での大人気も、日本に対する彼らの「誤解」によるものなのだろうか。
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