●更新日 03/05●


妖怪バスターズ・坂田金時 大人になった金太郎


史実と伝説が入り混じった人物である。

900年代に生まれたと推定されるが定かではない。
また坂田公時、酒田金時という名前で呼ばれる場合もあるが、一般的には昔話の「金太郎」という名前で呼ばれている。
平安時代のゴーストバスターである源頼光に仕え、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光(平貞道)とならんでの四天王と称された伝説の猛者。平安時代を代表する妖怪退治のエキスパートであった。

この金時神社の伝承によると、金時は天暦10年(956年)5月に、彫物師十兵衛の娘・八重桐(やえぎり)が京にて、坂田蔵人という男と契り、生まれたとされており、母亡き後は刀鍛冶として働いていたという。
天延4年3月21日(976年)、金時が21歳の時、偶然足柄峠にさしかかった源頼光に仕官し、
この時初めて坂田金時と名乗ることになった。
この時、奇妙な雲を見た頼光が豪傑の存在を察知したという話もある。


神社の伝承によると、金時の最後は不幸である。
寛弘8年12月15日(1012年1月11日)九州で帝に謀反を起こした賊軍を征伐するために進軍したものの、作州路美作勝田壮(現在の岡山県勝央町)にて、熱病に感染し死去する。
この時、金時は享年55歳であった。地元民は、豪傑・金時の死を悲しみ、倶利加羅神社(現在は栗柄神社)を建てて奉った。

また異説では、客死はしておらず、主君である頼光の没後は、都を去り足柄山で消息を絶ったと言われている。非常にミステリアスな人物だが、まったく架空の人物というわけでもなく、実在したモデルはいるようだ。


この日本人に愛された豪傑・坂田金時の真相は闇のままである。
山から都に降りた怪童は、主君・源頼光の為に、同族である妖怪たちを退治しながら生き抜き、
そのまま歴史のかなたに消えてしまったのだ。

坂田金時



山口敏太郎



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