●更新日 12/05●


役割を終えた繁殖牛をカレーに使う教育、是か非か?


役割を終えた繁殖牛を、カレーの具に使うという教育活動を展開している高校がある。そのことについて取り上げた新聞記事が、各方面で話題になっている。


2007年12月3日の東京新聞によると、神奈川県相模原市の県立相原高は、生徒たちによって飼育されてきた牛の肉を使用して、「相原牛カリー」というレトルトカレーを中村屋と共同開発した。記事から引用すると、「長年、繁殖牛として育てた雌牛への感謝を込め、「おいしく食べてもらいたい」と生徒らが発案。千六百食分を作り、市内の地域イベントなどで振る舞われている」とのこと。役割を終えた繁殖牛は、老齢のため肉が硬くなっていて商品価値が低いことを知った生徒たちが、「命を無駄にしたくない」と、カレーの具として活用する案を提示したのだという。今後はレトルトカレーの商品化も考えているそうで、「命の大切さと食べ物への感謝の気持ちをあらためて学ぶことができた」という生徒のコメントが掲載されている。


同校のHPを見てみると、「相模牛」のプロジェクトは、これまでも各メディアで取り上げられているようだ。「純粋高品質黒牛(黒毛和種)を、国産(校内産)の牧草やトウモロコシなど安全・安心なえさで育て、究極のブランド牛肉を生産する取り組み」、「受精卵移植技術を用いた黒毛和種の血統改良」といった説明がなされている。また、レトルトカレーの件についての記述もあり、「今回は、本校で7年間繁殖牛として用いられ、先日出荷されたひふみ号のリブロースを具として、すじ肉等をデミグラソースとして利用」と書かれている。





こういう問題については、いつも様々な意見が出て、ネット上でも論争になる。専門家はどのように考えているのか、生命倫理の研究者に話を聞いてみた。


――役割を終えた繁殖牛のカレーへの利用というのは、倫理的にはどうなんでしょうか。
「畜産という営みを完全には否定しないという前提ならば、問題はないのでは。それまで育ててきて、生徒たちも愛情を持って育てていたであろう動物をこのように扱ってもいいのか、という批判もあるかもしれません。ですが、食肉用に育てられている畜産物であれば、最後に必ず屠殺されます。同じ畜産物の中で、繁殖牛の屠殺は許されないという理由はないでしょう。」

――牛を出荷しないで生涯面倒を見てもよかったのでは、という意見もあると思いますが。
「その気持ちは分かりますし、生徒たちもそう考えたかもしれません。とはいえ、畜産に関する教育ですから、出荷という選択肢もあっていいはずです。むしろ気になるのは、これが本当に生徒たち自身の発案なのか、ということです。学校のHPやマスコミに紹介される時は大抵、実際はそうでなくても「生徒の発案」ということにされます。生徒の自発性という建前で、実際には教員の価値観が一方的に押し付けられているというのは、歴史教育等にも見られることです。」

――その点を別とすれば、教育内容については基本的に正しいという考えですか。
「新聞記事にも「命の大切さ」という言葉が出ているようですが、それは少し違うと思います。屠殺の対象となる畜産物の場合、人間が利用することを目的に飼育されるばかりか、一方的な都合で人間の好きな時に命を奪われます。この行為を、「命の大切さが分かる」という目的を理由に掲げて正当化することなどできません。むしろ、そのように正当化しようとすることは、「命の大切さ」という道徳教育の一方で、畜産に依存しているという我々の生活の矛盾を、かえって見えにくくしていないでしょうか。畜産の経験から食べ物への感謝が生まれるというのはまだ分かりますが、畜産に関する教育を「命の教育」と称することは不適切ではないかと考えます。」



何とも難しい問題であり、なかなか答えは出そうにない。たとえベジタリアンでも、植物の命を奪って生きている。他の生命を奪うことなしには生きられない、それが動かしえない現実だ。




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