●更新日 09/22●


「動物実験廃止しろ!」 声高に主張する団体をプロが切る


動物実験に反対する市民団体の要請により、東京都渋谷区が中学生セミナーでのマウス実験の中止を決めたと報じられ、話題になっている。この問題について、専門家の話を交えて考えみたい。

2007年9月15日の東京新聞によると、市民団体「動物実験廃止・全国ネットワーク」らが、同区教委が主催する中学生向けセミナーでのマウスの解剖に反対し、中止を求めたという。記事から引用すると、「▽映像など代替方法がある▽生命の大切さを知るために殺すのは本末転倒▽インドやスイスでは子どもの生体解剖を禁止している」という理由で反対したという。

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この件では、ネット上でも市民団体に対する批判的な声が目立つ。各々の価値観が直接的に反映されやすい問題だけに、短絡的な議論や攻撃的な表現に陥ることも多いようだ。一方、市民団体側の見解を検証しないまま、そのまま受け入れるというのもいかがなものか。そこで、生命倫理学の専門家に当該団体のサイトを見てもらい、議論の材料となる点や、問題を掘り下げていくために役に立つと思われる点を挙げてもらった。その内容の一部を、以下に要約し紹介する。


まず一つは、クローン技術について。団体は、動物実験のための均質な材料を提供する手段としても使われるであろうクローン技術等を否定する根拠は、「不自然な自然」だという。だが、それが何を意味するのか示されていない。「不自然」という漠然とした感覚を根拠に、技術の使用・不使用について決めることは危険だ。同様に人間のクローンも否定しているが、その理由や倫理的な根拠について示していないので、説得力がない。遺伝子工学との関連で、クローンの問題全般と遺伝子組み換え作物の安全性の問題を同列に扱っているのも、議論として飛躍がありすぎる。

関係者の中には、ベジタリアンが何人もいるが、その理由は何か。

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動物実験の問題点の一つとして、動物の苦痛という理由を挙げているが、苦痛を感じない植物を食べることの方が倫理的に正しいということか。そうだとすると、苦痛という基準を前提にして生命の価値を選別し序列化していることになる。それが正しいという理由を説明できなければ、結局のところ本人の自己満足に過ぎない。

動物実験を「生きものを材料としか見ることのできない屈折した感性、他の生物は人間が利用するためにあるというエゴスティックな考え」というが、動物実験をする人々の多くが「他の生物は人間が利用するためにある」と考えていると言い切れるのか。こういう議論の短絡こそイデオロギー的で、団体の信用を失わせるのではないか。「動物実験に代表されるような貧困なる精神」という表現も同様で、「自分たちの考えと比べると、あなたたちの考えは浅くて貧しい」という傲慢な発想そのものが人々の反感を買っていることに気づいてほしい。

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他にもいくつかの指摘があったが、用語の解説や詳細な説明等を必要とする論点については、今回は割愛した。とはいえ、この団体もそれを批判する人々も、もっと冷静になるべきだということは示せたのではないか。他人を批判する前に、まずは自分の考えが本当に適切か見直すこと。これからの社会に関わる重要な問題だけに、そのような「大人の議論」が求められている。



高橋



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