●更新日 07/17●
松田優作の素顔を知る人物にインタビュー
ガルエージェンシー福岡北/博多駅前/ガル探偵学校博多校 代表・山戸 規生 福岡市・北九州市それぞれに事務所を置く。福岡県内はもちろん九州全土から山口県に至るまで土地を知り尽くし、バイク班を編成した機動力・調査力は群を抜く。調査後のアフターフォローにも重きを置き、弁護士や司法書士とも連携。また、「ご依頼者さまの為に」を合言葉に13年間ノ―クレームを継続している。 |
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(前回のつづき)
松田優作の行きつけの店、大阪屋で優作がいつも座っていた席に私も座り、ちゃんぽんを完食。壁には優作だけでなく、優作の大ファンという香川照之さんのサイン色紙も貼られている。
次に、幼少の頃に松田優作が生活していた旧家に向かった。
聞き込みを続けていると、大阪屋からほど近い場所に優作のお兄さんが暮らしていた家があるとのことで、その場所に向かう。付近には長屋などが立ち並び、昔を思い出させる風景。
さらに聞き込みして、すぐに家が判明。その隣には優作のお兄さんが5年前まで生活していた家があるらしい。
その家は部屋の中に仏壇だけあり、優作が好みそうなバーボンのボトルや缶コーヒーなどが御供えされ、付近には木刀も置かれている。それらを目の当たりにした私は時間が止まったような感覚を覚えた。
この後、大阪屋に戻り、再び女将さんに話を聞く。
松田優作が育ったこの地は、かつて大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)の親会社で、魚肉ソーセージでも有名な大洋漁業株式会社(現:マルハニチロ)の本社があり、辺りは商店や露天が立ち並び、活気で溢れていたらしい。
女将さん曰く「松田優作は人と話すのが苦手というか、あまり喋る人ではなかった。でも、5年前に亡くなった主人が『吉永小百合さんは綺麗かね?』と聞くと『綺麗です』と答えていたよ」とのこと。女将さんも亡くなられた主人も優作といろんな会話をした訳ではないが、それでも必ず立ち寄ってくれるのが嬉しかったと語る。
女将さんの優しい対応と懐かしさを感じるこの大阪屋に、松田優作も居心地の良さを感じたからこそ、下関に戻るたびにちゃんぽんを食べていたのだろう。
女将さんは、暖簾をくぐって「ただいま」と言いながら訪れる、松田優作の姿を心のどこかでずっと想っているのかもしれない・・・
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