●更新日 05/02●


カトウ・サムナックの結末(後編)


〜前編〜

東南アジアは気温が高くドライなために長時間ジッとしているのは容易ではない。
だが獲物を得るためには避けて通れないプロセスである。

夜九時を回った頃、サムナックの兄夫婦が帰宅した。
だが翌日になっても獲物は姿を現さなかったのだ。
「やはりガセネタをつかまされたのだろうか?」
多少の焦りを憶えたが己の嗅覚が獲物の存在が近いことを感じていたので粘りを決め込んだ。
その数時間後、ふたりのパトロール警官が私の元へ歩み寄って来た。
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簡単な職務質問かと思いきや署への同行を強引に求められたのである。
そこで私は正直にバッジとライセンスを見せて身分を明かすと納得してもらえた。
バウンティハンターの意味がタイ人には不明慮でも、やはりアメリカ国旗は効力が高い。
人によっては国際ポリスと勘違いする者すらいるのだ。
英語圏ではあり得ない東南アジアでだけの話しではあるが、気分はまんざらでもない。
サムナックの新たな情報を得るべく近隣にて再び聞き込みをおこなった。
住人の話しではやはり獲物が出入りしているのは間違いなかったのである。
姿を現すそのときを寡黙に待ち続けた。

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その夜、待望の獲物が視界に入ったのだ。
幸い一人だったので即座に捕獲態勢をとった。
私はサムナックの背後に歩み寄り声をかけた。

「ベイルエージェントだ!カトウ・サムナック、おまえをロスへ連れ帰るのでおとなしくしろ!」

その私の声に驚いたサムナックは、大慌てで足早に逃げ始めた。
そして兄夫婦の家の前に停めてあった原付バイクで逃走を図ったのだ。
そこに運良くバイクが通りがかったので、ライダーにバッジを提示して拝借、サムナックを単車で追跡。
林の中で暫くチェイスを繰り広げたのちにサムナックは転倒。
取り押さえにかかろうとすると私に反撃してきたので思いきりパンチを食らわしてやった。
被害に遭った女性の分と、私の怒りの拳を合わせて強烈な二連打をお見舞いされて獲物は完全にノビてしまった。

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手錠を掛けて、サムナックを正気にさせたあとでロスへ帰るべくドン・ムアン国際空港へとトランスポートした。
そこで空港ロビーにてまさかのトラブルに遭遇するとは思ってもみなかった。
タイ人に手錠をかけて同行している日本人の私が不審に見えたのだろう。
警官が我々の行く手を阻んだ。
バッジを見せて事情を話すが判ってもらえずに警備室に通された。
「この警官たちがマフィアと癒着していれば金目当てに言いがかりをつけられて投獄される可能性もある」
そう思った私は警戒態勢に入った。
だが以前のお手柄の件があるので、それをネタにネゴシエーションを試みた。
「タイポリスに協力したにも関わらず、私の身に何かあれば即座にインターポールが動き出す」
その言葉に警官たちは動揺して数分後には問答無用で解放された。
タイからLAX国際空港までは獲物は借りてきた猫のようにおとなしくしていた。
しかし私の車に乗り込むと罵声を飛ばしはじめた。
それどころかドアを蹴飛ばしたりして暴れだしたから往生際が悪く面倒だ。
よほど刑務所に入れられるのが嫌なのだろう。
だが罪をつぐなうのは当たり前の事。
そこで私はまた正義の拳を暴行犯サムナックにプレゼントした。

気を失ったままの賞金首を留置場の担当官に手渡して、引き渡し書類にサインを貰った。
ベイルボンズで受け取った賞金はUS4000ドルである。
一週間でこなした仕事だったので悪くない稼ぎだった。

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だがのちに聞いた話しでは不幸なことにサムナックは刑務所の中で自殺を遂げたのだ。
いくら正義と云えどもショックを受けたのは当然で多少の悔いが脳裏を横切った。
私は殺しのライセンスを持っていながら犯罪者を殺めたことは皆無だが、投獄した獲物が亡くなったのは後味が悪かった。
その夜、場末のバーにて安酒を煽りながらサムナックに静かにレクイエムを口ずさんだ。



バウンティハンター



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