三浦和義氏インタビュー(中編)
〜民事裁判、無罪確定後について〜



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前回に引き続き、今回は530件もの民事裁判を戦い抜いた三浦氏の功績とその内容に触れてみたいと思う。

民事裁判、無罪確定後について――――――――――――――――――――――――――

―――当時、警察やマスコミのあり方にも問題があったと思うのですが、民衆の狂気やヒステリー部分も凄いものがありました。この点についてお聞かせ下さい。
当時、毎日報送されていた僕の“マスコミに作られた”犯人像を見ていれば、僕が犯人だと思っても仕方ないと思います。しかし、一般の方々にも、もっと見る目が必要とされると思いました。ワイドショーなどの低俗なものを鵜呑みにしてしまうから、そう刷り込まれてしまう。ワイドショーは視聴率を稼ぐ為に、もっと凄い事(ヤラセ・でっちあげを含む)を放映する。それを観て、また信じてしまう。悪循環ですよ。

―――容疑者の人権を守る為に、顔や手錠部分にモザイクが入るようになったのは、三浦さんがその違法性を指摘した事から始まったそうですですが。
僕が逮捕された時に行われた“引き回し”(※1)の違法性について、東京都と警視庁を訴えたのです。しかし、民事訴訟に於いて僕は負けました。何故なら既に時効が切れていたからなのです。時効は3年なのですが、訴えたのが3年後だったのです。ところが、普通ならそれで終わる所をこの裁判官が正義感の強い人で、判決が出てから延々と東京都と警視庁は人権を著しく無視したものであり、違法であると述べたのです。完全にあちらに落ち度があると。その理由に対して、東京都と警視庁は控訴出来ないのです。何故なら、判決が出て勝っているからです。(勝った裁判を自ら控訴する者は居ない)そこで僕は控訴出来たのですが控訴しなかった。裁判では負けましたが実質、内容では勝ったのですから。本来なら言う必要の無い事柄を言ってくれましてね、警視庁は相当悔しがったと思いますよ。この事から僕の弁護団も意見が一致して控訴はしませんでした。それからです。メディアが容疑者にモザイクを入れる処置などをして自粛するようになったのは。

―――三浦さんは本人訴訟を470件以上行い、その8割以上に勝訴なさっておりますね。その事は我々、裁判の知識の無い者に取って学ぶべき事が多いのですが、三浦さんご自身はその知識をどのようにして得られたのでしょうか?
ひたすら勉強したからです。僕は書店に自分用の口座を作りましてね、その口座から引き落とすようにして本を電報で注文していたのです。そこで、「“名誉毀損”と“プライバシー侵害”と名の付く発売物は全て買いますから僕に送って下さい」と注文した訳です。それを片っ端から読んでいって勉強したのです。本人訴訟は誰でも出来ます。本当にやる気になり、勉強すればどんな人でも出来るのです。その点に対しては、4月20日に太田出版から『弁護士いらず 本人訴訟マニュアル』と言う本が出ますので、そちらを読んで頂ければ裁判についてかなり知る事が出来ると思います。

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―――三浦さんご自身の冤罪というものについてのお考えを頂けますか?
疑わしい者に対して容疑が高まれば逮捕するというのは法の執行として当然だと思うし、当然だと考えています。しかし現実問題として警察が不正な捜査とか、不公平な捜査をして、被告人に有利な展開になっても警察の面子の為に釈放すべき時に釈放しない事が多いのです。大々的にマスコミで報道して、間違いであったとしたら警察の責任問題になりますからね。無罪ではないかと解った時点で釈放するなり、不起訴にするなり英断を下せば良いところを、「逮捕したのだから、最後まで犯人を作り上げてしまおう」というのがこれまでの冤罪ケースである訳です。(※2)

―――三浦さんが無罪確定となった時、疑惑や逮捕についてはあれだけ放送していたテレビ局がこの事については報道しない。つまり自分たちが誤っていた事を全く反省していないと私も思うのですが
反省していないからでしょう。僕の事件の後も沢山、過剰な報道をしていますからね。僕がマスコミに対して訴え続けていた事がまるで生かされていない。だから、やっぱり反省していないのでしょう。報道被害にあっている人は100人以上居る訳なのですが、NHKと民法が作ったBRO(放送と人権等権利に関する委員会機構)で報道被害について審理しているが、報道被害者が入っていないので全く機能していないのです。とある事件で被害に遭った人がBROに話を持ちかけたが対応してくれなかった。そこで報道に対して裁判に踏み込んだ訳なのですが、これが全て勝訴しているのです。この事からも、マスコミ・メディアというものの姿勢は変わっていない事が解ります。


一般の方にとっても裁判というものは、無関係では在り得ない。 保険金では無いにしろ、世には様々な問題・冤罪が存在する。 その点に於いて、自ら裁判について学ぶ姿勢は大いに見習うべきものだと思える。 次回の後編では、三浦氏自身への質問とこれから先のお考えについて記したいと思う。


→前編    →後編


< 注意書 >

※1… “引き回し”について。逮捕された後、三浦氏はパトカーに乗せられて警視庁に連行されたのだが、直接警視庁前に止まらず、報道陣が300人以上待ち構えている言わば“花道”を無理やり歩かされた。カメラが構え、罵声が飛び交う中での事である。この光景が、江戸時代の“市中引き回しの刑”に酷似していた為、この呼び名が定着した。警察が行ったこの行為は全く無意味なだけで無く、三浦氏の人権を甚だ無視したものであった。また、容疑者であって、犯人では無い人物の姿をそのまま放映するマスコミの姿勢に疑問を抱いた三浦氏は、裁判に踏み込んだ。私見を述べるなら、確かに人権は守られるべきである。

※2… この他、日本では“自白偏重主義”というものが存在する。どのようなものかというと、取調でどうしても自供が欲しい場合、散々暴力や脅しで容疑者を疲れさせておいてから、「お前も疲れただろ?ここに自分がやったって書くだけで楽になる事が出来るんだ。本当に無罪なら、その事を裁判で話して無罪の判決を貰えばいいじゃないか」と言葉巧みに誘う。しかし、その通りに自供してしまうと今度は逆に裁判上で、「自分が不利になると知りながら虚偽の自白をする事は考えられないので、被告のこの自白は信用できる」とされてしまう。つまり、一度でも自供してしまうと取り返しのつかない泥沼へと落ちてしまうのだ。恐るべき罠であると言える。三浦氏は冤罪で取調を受ける事になったら疲労に屈せず、決して自供調書に署名してはならず、黙秘を貫く事と述べている。

● 三浦和義公式HP
http://www.0823.org/

● ロス疑惑に対する参考リンク
http://ngp-mac.com/kumarin/index.cgi?0045

● 参考文献
「三浦和義との戦い」安倍隆典 著
「三浦和義事件」島田荘司 著
「不透明な時」三浦和義 著
「NEVER〜ネヴァ」三浦和義 著
「LOVER〜ラヴァ」三浦良枝 著
「週間金曜日」3月21日号・3月28日号





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