三浦和義氏インタビュー(前編)
〜当時の事件、ワイドショーの裏側について〜




写真1
2003年4月3日。銃撃事件の無罪が確定した三浦和義氏へのインタビューが実現した。会談内容を当時の状況を踏まえながら記したいと思う。

―――「銃撃事件」無罪確定おめでとうございます。21年という長い年月、お疲れ様でした。
ご祝意ありがとうございます。僕自身は長かったとは感じていなかったのですけどね。朝から晩まで、民事訴訟などで忙しく動いていたので。1日が48時間欲しいと何時も思っていました。ところで、「探偵ファイル」と言うのは、ガルがやっているものですよね?知っていますよ。「探偵ファイル」って本を出していたでしょう?僕、持っていますから。
―――ご存知でしたか。それは、ありがとうございます。(※1)それでは早速、質問に入らせて頂きます。

当時の事件、ワイドショーの裏側について―――――――――――――――――――――

―――愚直な質問となりますが、三浦さんにとって『銃撃事件』とは如何なるものだったのでしょうか?
非常に単純だと思います。単に、強盗に遭って被害を受けた。それだけです。銃撃事件自体は強盗事件なのです。その2年後に週間文春が『疑惑の銃弾』と言う連載を始めた事により、疑惑が生まれ、騒ぎが大きくなってしまったのです。

―――では、「殴打事件」とは?
一言で言えば、“痴話喧嘩”です。家内が居る所へ、当時付き合っていたガールフレンドが押し掛けて来て揉み合いになった。その時にカッとなったその子が家内を突き飛ばして怪我をさせた。と言ったものです。それで家内は頭に傷を負ったのですが、下から上に出来た傷という事が医学鑑定でも、はっきりしているにも係わらず、裁判では上からハンマーで殴ったという事になってしまったのです。(※2)

―――何故、突き飛ばした事が、布袋に入った金属(ハンマー)で殴った事になったのでしょう?
警察が作ったからでしょうね。彼女が証言したハンマーについては、日本とアメリカ両方のあらゆるところで調査しました。ところが、そんなもの何処を探しても見つからないし、売ってない。検察は、売ってないのなら何処かの工場に特別注文して造らせたのではないかと言いました。法廷で言うのは良いが、それだったら僕が注文したと言う工場を発見して、製作者の証言を取るなどして立証すべきでしょう?ところがそんなもの一切無い。一方的ですよ。他にも、彼女が証言した金属片をその供述した通りに鉄工所に頼んで作って貰ったのです。ところが、これがまたこんなに大きな物で、人間が持てる重さじゃ無いって事になったのです。おかしいでしょう?持てる訳無い物を渡されて、それで殴ったって言うのですから。

写真2
▲こんなに大きい金属片。確かに女性が振り回すには大き過ぎる

―――当時、三浦氏の怒っている顔を撮る為に、わざと目の前でお子さんを突き飛ばして見せた事があるそうですが、これは酷い話ですよね。(※3)
そんな事、酷い話の一例にしか過ぎません。報道陣にされた酷い事を挙げて行ったら、300件くらいありますよ。ガラスに石を投げ付けて割るとか、酔っ払いを先導して来るとか、屋根にビール瓶を投げ付けるとか、暴走族を20人くらい呼び寄せて脅すとかして、どうにか僕を表に出そうとする。それを玄関先で平気で話し合っているのですからね。それが毎日。
もっと酷いのは、「三浦和義と寝た五人の女たち」という番組で女の子たちが、僕のテクニックがどうこう、事が終わった後にこれこれするなどを発言していた事。僕は東京拘置所に居たのでテレビは観られなかったから友達に文章化してもらったのですよ。それを読み、その内容がかなり詳しいものだったので、プライバシー侵害で訴えたのです。ところが法廷で番組内容を検証した時に、映っていた女の子たちに僕は一度も会った事など無いと解ったのです。そこで、その番組を作ったプロデューサーに訊いてみたら、「うちのプロダクションの子を使ったヤラセだった」って認めたというものです。そういう事も多かったですね。

―――逮捕されてからの23日間の間に、1日中、頭にピストルを突き付けられて自供調書に署名捺印しろと脅された事があるそうですが、その時の事を教えて頂けないでしょうか?
朝の7時くらいに取調室に呼び出された時にいきなりピストルを出して、「自供しなきゃ頭ぶち抜くぞ!」と怒鳴られました。僕は、「撃てるものなら撃ってみろ!」と言っているのに脅すばかり。それで深夜の2時くらいまで延々とピストルをちらつかせ続けました。他にも、殴られたり、机を蹴られたりと日常茶飯事でありました。色々されましたよ。

―――「銃撃事件」の第一審の時、Oさんは無罪になったのに対し、実行者を「氏名不詳者」として三浦氏は有罪になりましたが、このような事があり得て宜しいでしょうか?
ええ。ですから、あり得ないから、あっちゃいけないから、二審で正確な裁判がなされ、無罪と判決されたのです。名前も解らない、年齢も、性別も、大人か子供かも解らない。でも、実行犯は居るはずだから、共犯者「氏名不詳者」で有罪。推定出来る証拠があるのなら解りますが、そんなもの全然無い。馬鹿な話です。


写真3

―――銃撃事件について、検事が目撃者(駐車場の管理人)の証言を最後まで隠していたそうですが、この点についてお聞かせ下さい。
当初から弁護団は目撃者の証言を出せと言っていたのです。ところが検察はそんなものは無いと突っぱねる。それを3〜4回繰り返した辺りで、裁判所の方から提出するよう命令が出たのです。(※4)そうしたら、渋々提出して来た。あれだけ無いと言い張っていたものがあったのです。お終いには、「その人(目撃者)は頭がおかしいので証拠にならない」と言って来た。苦しい言い逃れにしかなりません。そのやり取りを最初から見ていた二審の裁判官は公正に判断して、無罪の判決を出したのです。


前半部分では、マスコミの姿勢の様々な問題点が浮き彫りとなった。 三浦氏へのインタビューを介して、私自身知り得なかった事柄が多く、考えさせられる内容であったと思う。 次回の中編では、三浦氏が行って来た民事裁判と無罪確定後の展開について記したいと思う。


→中編    →後編


< 注意書 >

※1… 2000年に白夜書房から発売された「探偵FILE」。現探偵ファイルの原点とも言える。


※2… 殴打事件時の模様について。三浦氏のプライバシーに係わる部分が大いにあるものなので、重要と思えるポイントのみ記す。 矢沢証言に於いて、矢沢さんは「三浦氏に殺人を依頼されて一美さんの部屋へ行き、一美さんと揉み合っているうちにハンマーで殴ってしまった」と証言している。 一方、三浦氏は当初より、「ハンマーなど存在していなかった」と証言している。 裁判の記録から見ると、矢沢さんのハンマーについての述懐は、“ハンマー”“ハンマー様の金属”“金属片”と毎回違い、その形に付いても、大きさに統一性が見出されない。 また、一美さんの頭に出来た傷は、上からハンマーで殴られたものではなく、下から上に出来た傷である事が医学鑑定により立証されている。 つまり、三浦氏が述べている(三浦氏が一美さんから聞いた内容)「揉み合っている内に、矢沢さんが一美さんを突き飛ばし、倒れた時に角でぶつけて怪我をした」という証言と一致する。 この事から、矢沢さんの発言が偽証であった可能性が飛躍的に増した。 要するに三浦氏の個人的な女性トラブルであった“痴話喧嘩”が殺人未遂に発展してしまったと考えられるのだ。 何故、矢沢さんは自らが罰せられる可能性がありながら、法廷で嘘の証言してしまったか? この事については深く触れるつもりは無い。 ただし、背景には“女性の嫉妬心”が大きく絡んでいる事が窺える。

※3… 週間文春の『疑惑の銃弾』が発売され、連日のマスコミ攻勢に遭い、日々の暮らしもままならなくなったある日、三浦氏が良枝さんのお子さんと散歩に出た時に、構えていた報道陣の1人が息子さんを“ワザと”突き飛ばして転ばした。怒った三浦氏がその行為に対して抗議したところ、報道陣は無言のままその様子を収録し、翌日のワイドショーで音声を抜いた画を放映した。三浦氏が凶悪な人物のように作られた巧妙なものであった。

※4… 三浦氏の弁護団がロスで独自の調査を行った際、現場近くにある駐車場の管理人から目撃情報を得た。その内容は、三浦氏の証言と一致する非常に重要なものであった。ところが、その証言は銃撃事件の時に日本の捜査員に話していたと言う。つまり、三浦氏が疑惑の人として騒がれていた時から、日本の警察は故意にその証拠を隠蔽していたのだ。

● 三浦和義公式HP
http://www.0823.org/

● ロス疑惑に対する参考リンク
http://ngp-mac.com/kumarin/index.cgi?0045

● 参考文献
「三浦和義との戦い」安倍隆典 著
「三浦和義事件」島田荘司 著
「不透明な時」三浦和義 著
「NEVER〜ネヴァ」三浦和義 著
「LOVER〜ラヴァ」三浦良枝 著
「週間金曜日」3月21日号・3月28日号





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