●更新日 01/23●


底なしの闇

 1月22日、この日も江東区マンションバラバラ殺人・トイレで肉片を下水に流す鬼畜事件の公判が行われた。 第5回公判だ。この日は10:00〜正午ちょい過ぎまでの午前中だけの審理だった。また、終盤には星島被告本人から「被害者遺族が自分を殺してやりたいと思うのは当然。死刑がふさわしい」という旨の発言もあった。

この日は瑠璃香さんの姉が再度証言台に立ち、瑠璃香さんの人格・性格、そして、事件の第一通報者でもある『姉』の目線から見た事件当日の様子や展開が語られた。「被告が死刑になって墓が出来たら、ハンマーで壊してやりたい」という少々過激な発言もあった。


 だが、この星島裁判、何かがおかしい。何か違和感を感じて仕方がないのだ。こんな事を書いたら被害者遺族に怒られそうな気もするが、あえて書かせてもらう。

まず、心象があまりにも被害者側に偏り過ぎている。裁判官も、証人も、検事も、そして傍聴席の一般人たちも、ほぼ完全に法廷内のすべてが被害者サイドの味方。被告の星島にとっては完全なアウェイ空間になっている点。あの中で星島被告の唯一の味方は、星島両親から金で雇われた私選弁護人だけだ。

被害者遺族証言でも、殺害された瑠璃香さんの写真が0歳から七五三、小学校入学…と、被害者の半生を追うスライドショウがモニタに流されるという 形式があったが、遺族はもちろん、一般傍聴者も涙を流し、あろうことか検事まで目頭を熱くしていた。

半生スライドショウだとか、こんな事、裁判ではよくある事なのか??

ぶっちゃけて言ってしまうと、法廷内が完全にお涙頂戴モードになってて何か気持ち悪かった。 言うなれば必要以上に勧善懲悪が過ぎてるんですよね。
なんというか、見えない誰かから人心誘導されてるような気持ち悪さがあった。

どうしてもこの星島裁判には何か作為的なモノを感じてしまうのは気のせいなのだろうか。
裁判員制度開始前に、裁判所の偉い人が人心誘導とか法廷内世論コントロールの実験でもしてるのか、はたまた別の何かか。




 また、星島被告は下半身の火傷跡の原因も含めて、自身の両親に異常とも言える憎悪を抱いていた。親を殺してやろうとも思ったとも証言している。前回公判同様、相変わらず首を下にうつむいて目を開けてるんだか閉じてるんだかわからない状態の星島被告。いま、彼には誰も味方は居ない。両親にすら敵対心を抱き、彼の心の中は完全に孤立無援状態になっている。味方がただのひとりも居ないという孤立感は、想像を絶するものなのではないのだろうか。

この世の全てから孤立してしまった人間というものは、あそこまで負のオーラが出せるものなのか。あまりにも深すぎる心の闇の底にまで閉じこもってしまい、心ここにあらず、といった印象である。

星島の肩を持つ気はさらさらないが、この星島、あまりにも孤独すぎる。悲惨なほどに孤独だ。せめて何かしらの星島の味方を増やしてやるか、 瑠璃香さんのように星島の半生を追うスライドショウでも流してやって欲しい。

裁判という物は被害者にとっても 加害者にとっても公平で中立でなければならないはずのものだったと記憶しているが、この星島裁判についてはあまりにも被告にとって不公平な印象を持ってしまう。



オナン



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