●更新日 02/14●

柳沢発言、本当の論点とは?


柳沢伯夫厚生労働相による「女は産む機械」、「結婚し、子供は二人以上持ちたいという健全な状況」といった発言が問題になっています。これらに対しては様々な批判がなされていますが、発言の何が問題なのか、それに対する批判のおかしさとは何か、ある社会学の研究者に取材をしました。一連の報道や識者のコメントからはほとんど見えてこなかった、興味深い論点を紹介します。


柳沢伯夫・厚生労働相

Q: 柳沢氏の発言は、厚生労働相として軽率だという意見がありますが、どうですか?

A: 何が「軽率」なのか、よく考えるべきでしょうね。「公の立場で言ってはならないこと」を言う軽率さと、「本人が職を失う危険性があるから言わない方がいいこと」を言う軽率さとは違うわけですが、この二つが混同されたままバッシングが行われているという点が気になります。


Q: 柳沢氏は辞職すべきという主張も少なくありませんが、いかがですか?

A: この点についても議論の短絡があります。「柳沢氏が今回のことで責任を取って辞職すべき」という意見と、「柳沢氏は軽率な発言をするから、このような役職には向いていないので辞めるべき」という意見が混在しています。後者の場合、発言の軽率さという論点をもって、他の業務遂行能力全般まで否定すべきかどうか。要するに、発言内容の慎重さを政治家としての能力全般の、どのくらいの割合を占めるものと見るかということが問題です。


Q: ズバリ、柳沢氏の発言は間違っていますか?

A: 「少子化対策はなされるべき」という前提に立って考えるとすると、一連の発言への賛否とは別に、政策的に見て問題だと思います。その点で、彼の主張の前提は問われるべきであり、そういう意味で軽率な発言だったのではないでしょうか。彼を批判している他党の政治家や識者たちも、そのような知識や考察が十分にあって批判しているとは思えない。


Q: 具体的に言うと?

A: 彼の頭の中では、子供を持つことが結婚を前提に語られています。こう言うと、「子供を産みたくても産めない人もいるのに、差別的な発言だ」、「夫婦が安心して子育てする環境が日本には整っていない」、「子供を産むことを望まないカップルも多く、その権利が認められるべき」といった、柳沢発言への一連の批判と同じように聞こえるかもしれませんが、これらとは違います。問題は、子供を持つことと結婚をイコールで結ぶ必要があるのかどうか、ということです。


Q: いわゆる「保守派」の立場では、両者は結びついていることが望ましいのでは?

A: それは価値の問題であり、本気で少子化を止めたいなら、政策的には他の選択も含めて考慮しなくてはなりません。少子化が著しい先進諸国の中でフランスが少子化対策に成功したのは、結婚していないカップルにも、結婚している場合と同等の優遇措置を与えて子育てを支援してきたからです。婚姻関係に基づく理想の「家族」を思い描くのは思想の自由ですが、少子化対策を担う役職にある人間が現状を改善する措置について十分に考慮しないで、理想だけ語るのは無責任です。


Q: 柳沢氏を批判する人々に関しては、どうでしょうか?

A: 今申し上げたような点に、まずは自覚的になってほしいですね。イデオロギーのレベルで争うだけの「政治の劇場化」と、追従するマスコミ。こういう状況では問題解決が先送りされていくだけで、本気で少子化対策に取り組むことは不可能に近いでしょうね。


いかがでしたでしょうか?柳沢氏の発言に見られる女性観だけが論点なのではなく、発言内容の政策的有効性こそが問題だという指摘は、極めて重要な問題提起なのではないでしょうか。



タカハシ


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