パレスチナの空の下
〜 第3話 〜


ある時、1人の少年は思った。「自分に出来る事は何か?自分が為すべき事は何か?」

少年は、思った。「何も出来ない。プロじゃないし、けど、見て来た事を伝える事なら出来る」……と。

このシリーズは、パレスチナ〜イラクに渡り、日本のTVが報じない事実を記す、とある少年…『安川』のドキュメントである。



訓練では、戦車に立ちふさがる想定、撃たれたときの想定など、体を使った訓練も多かったが、マニュアルどおりではなく自分の考えにおいて自己責任で行動するといった考えを交わす時間の方が多かった。

自分たちのパスポートが集められ最後の登録が行われた。そんな中、最後の最後になり自分だけ教官に手招きされ、歳を確認された。この団体は18歳以上が参加規定なのだが自分は17歳。しかも、保護者なし。いやな汗が手を湿らせた。

教官は命に関わる事だからと言って、どうしてもOKをくれなかった。途中この建物でなかよくなったパレスチナ人の十歳の子供もこいつはいいやつだから、参加させてやってくれと頼んでくれたが答えはNO。優しくしてくれたみんなにお礼をいい、自分はこれから自治区の最前線で体を張る皆と別れた。

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▲現地の小学校の様子(撮影:安川)

その団体に参加する事でパレスチナの真実を見ようという思惑が崩れ去り、遂に行く宛てもなく1人になってしまった。宿に戻り、これからの事を考えた。もう誰にも頼れない。そして自分自身の足でパレスチナを見て回ろうという考えにたどり着くのに時間はかからなかった。


難民キャンプという言葉で想像するとテントが張り巡らされているイメージがあったが、ここは違った。というよりもパレスチナで難民キャンプと呼ばれる所の大半は、ちゃんとした家の作りになっている。ベツレヘムにある難民キャンプを訪れてみた。ベツレヘムといえばキリストが誕生した処である。

バスから降りイスラエル、パレスチナの境の検問をパレスチナ人とは違いスラリと待たされずに通るとタクシー運ちゃんの猛攻をかけられる。キャンプに行きたいと言うと、あそこは遠いから6キロはある、乗っていけと言われるのだが、完全な嘘である。おそらく1キロくらいだろう。値段も最初は500円くらいからふっかけてくるのだが、無視して歩いていると、60円くらいまで下った。仕方がないので乗って走ると、なんとお土産物屋に直行入店。なかなかのやり手の運ちゃんだった。お土産には興味がないので、騙されたと思いながらも、町でお茶をしている人に場所を聞き少し歩いてみた。

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▲これはパレスチナ・ラマラにあるアラファト議長府(首相官邸)のような所です。 イスラエル軍のアパッチ・戦車によってぼこぼこに壊された所です。(撮影:安川)

少し行くと道が分かれ大きな銀色の壁が現れてきた。自分の背丈の2〜3倍はあろうか。その横には大きな監視塔のような物が立っていた。写真を撮ろうとレンズを向けた途端に中から威嚇するように三人のイスラエル兵が出て来て、こっちを真顔で見始めた。出国する前にジャーナリストの人に、どんな所は撮ると危ないですか?と聞くと「自分がイヤだなと思った所が危ない所」と言われたのを肌で感じた。こんな状況で写真を撮る勇気はないので、写真は諦め目的地に向かう事にした。乗合いタクシーに乗り直とすぐに目的地に着いた。

タクシーから降り、坂を登ると、子供が目をまん丸にして後ろを興味深そうについて来る。その中でも比較的、年上の子供が話し掛けてきてキャンプを案内してくれた。

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▲これは今話題の入植地(パレスチナの領土の中にあるイスラエル)警護のイスラエル国防軍です。普段は写真撮らせてくれません。(撮影:安川)

町じゅうに張りめぐらされている殉教者のポスター中には幼い子供の姿もあった。それを顔色を変えずにここの家の奴だと教えてくれる。このポスターとは自分が思うには、まずは亡くなった人を忘れない。そして英雄視される。そして、これを見て子供が育ちまた予備軍が作られる。その繰り返しであると感じた。


< つづく >



( パレスチナ特派員:安川 責任編集:キム )


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