●更新日 11/12●
品格と色気と哀愁と。森繁久弥が飯島直子の株を上げた?
俳優の森繁久弥が死去。
芸能界の大御所の死は世間に大きな衝撃を与えた。
森繁は大御所と言われるだけあって、その多彩な活躍には目を見張るものがあった。
代表作『社長太平記』シリーズをはじめ、膨大な数の映画やドラマに出演。
また、『知床旅情』の大ヒットなどにより、歌謡界にも大きく貢献したことも知られる。
各局の報道からも分かる通り、劇団では後輩の育成に心血を注いでいたようだ。
時には厳しく叱咤し若手からは恐れられていたようだが、自らの経験で培った「芸を磨くための秘訣」を後輩たちにアドバイスし続けてきた森繁の、厳しさの裏側にあるその熱意に後輩たちは敬意を表していたという。
そんな偉大な俳優にも、ちょっとオチャメなエピソードがある。
それは、1999年の紅白歌合戦に出演した際のことだった。
「共演した飯島直子さんが露出度の高い衣裳だったんですけど、その胸元を森繁さんが番組中にチラ見していたと話題になったことがありました。テレビ雑誌が写真付きで記事を掲載したのが最初だったかと記憶してます」(出版関係者)
その時点で既にかなりの高齢だった森繁だが、その色気を忘れない若々しい様子を微笑ましく思った人々が多いようだ。
だが、話はここで終わらない。
「その後、どういうわけかチラ見のハズが『森繁が飯島の胸を凝視し、飯島が困惑』というように、誇張された噂が流れたんです。それで森繁さんを叩く人まで現れたんですけど、完全に誤解ですよ。森繁さんの名誉のためにも言いますけど、放映内容の一場面が面白おかしく取り上げられただけであって、飯島さんが困惑したような出来事ではなかったはずです」(同上)
森繁ほどの知名度があると、ちょっとした言動が話題になってしまいがちだ。
その結果、いろいろと話に尾ひれがついてしまうこともあるのだろう。
飯島といえば、セクシー路線で世の男性を魅了し、いつの間にか癒し系になって同性からの支持も集めた。
ある意味対照的な路線をたどりながら、様々な男性と浮き名を流してきたのも知られた事実である。
「元祖・癒し系」のセクシーパワーは、世代を超えて幅広い層の男性を癒してしまう。
森繁のエピソードは図らずもそんな飯島の魅力を立証してしまったと言えるかもしれない。
著書の通り『品格と色気と哀愁と』を忘れない人生を歩んだ森繁久弥さんのご冥福をお祈りいたします。
芸能探偵
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