●更新日 04/04●


彼のいた地獄


これは数年前に受けた、あるご両親からの依頼の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「結婚したい人がいる。」と娘さんに告げられ、その両親は大いにうろたえました。
娘さんは看護婦をしている37歳
写真
医療の仕事に打ち込みすぎたせいか、婚期は完全に逃してしまっていました。
(こりゃ、ひょっとして、この娘は一生結婚しないかもしれんなぁ。)
と、両親もあきらめかけていたのです。

そこへ、この告白だったものだから、両親はうろたえながらも大いに喜びました。
写真
(ひょっとしたら、あきらめかけていた孫にも恵まれるかもしれない!)

しかし、その一方で不安もありました。
(こんな婚期を逃してしまった40手前の娘をもらってくれるとは。)
(いったいどんな男なのだろう?)


聞けば、娘さんは三日後に彼とデートをするとのこと。
「ぜひ家に連れてきなさい」と強く勧めましたが、娘さんは「まだ、彼の気持ちが決まらないから……」とそれを断りました。
両親は気になって仕方ありません。
そこで探偵を雇って娘の彼氏のことを調べてもらうことにしました。

依頼するのは二つの調査。
@行動調査。デートの様子と、彼氏の姿を、写真やビデオで見てみたい。
A結婚調査。彼氏がどのような身の上なのか、それを詳しく知りたい。


…………数日後…………

まず1通目。@の報告書が両親のもとへ送られてきます。
それを読んで、両親は呆然としました。

「障害者じゃないか!?」

報告書の写真やビデオに写った娘さんの彼氏は、濃いサングラスをかけた痩せ型の男。
写真
いえ「痩せ型」というより「やせぎす」というべきでしょう。病的なまでの痩せ方をした男です。

そんな外見だけでも娘婿としては不満なのに、ビデオに撮られた彼氏の様子を見ると、明らかに健康体ではありませんでした。
歩き方はどこかおぼつかず、常にふらふらしています。まっすぐ歩くことにも難儀しているらしく、時折、娘さんに支えられています。
しかも、長時間の歩行に耐えられない様子で、少し歩いては、何度も休んでいるのです。
写真

そしてデートの途中、二人はファミレスで食事をするのですが、食後、彼氏は大量の薬を飲んでいました。
写真
カバンいっぱいの薬を持ち歩いているのです。どうみても重病人です。

おかしな点はまだありました。
このデートの最中、二人は交通機関を一切使っていないのです。
かなりの距離を移動しているのに、バスも、電車も、タクシーも使っていませんでした。
写真
これでは「デート」というより「病人のリハビリ」です。

両親はその報告書を手に、娘さんを問い詰めます。
「明らかに健康ではないではないか。」
「大事な娘を障害者のもとへやれるものか。」
「重い持病があることは間違いない。遺伝的なものではないのか?」
「子供ができれば、その病気も継がれるのではないか?」


報告書を手に取り、その内容を確かめた娘さんは
「彼は“地獄”にいたんです。」
とだけ告げました。

「地獄ってなんだ?」とさらに尋ねる両親に、娘さんは答えます。
「続きの報告書には彼が『そこ』にいたときのことが書いてあるはずです。それが届いてから話をしましょう。」

…………さらに数日後…………

両親のもとに2通目の報告書が届きました。A彼氏の身の上の調査結果。
そこには彼氏のいた「地獄」のことが書いてありました。



1995年3月20日。日本史上に残る悪夢の一日。
死亡者12人。
重軽傷者5510人
大都市で発生した史上初の「化学兵器テロ」



写真
「地下鉄サリン事件」

彼はそこにいたのです。そして、その地獄を見ていたのでした。

濃いサングラス……視力障害。
病的なほどの痩せ型……長い入院生活の名残。
おぼつかない歩き方。何度も休憩する体力の無さ……自律神経の障害。
持ち歩いている大量の薬……病状を軽くするためのもの。
一切交通機関を使わないデートコース……PTSD。密閉される交通機関を利用できない。


全ては事件の後遺症だったのです。

両親は戸惑い、そして、やはり反対しました。
「彼の持病ではないことはわかった。」
「彼が大変な災難を経てきた人だということもわかった。」
「だが、それがどうだというのか?」
「原因はどうあれ障害者ではないか。」

「大事な娘をそのようなハンデのある男性のもとへ嫁がせるなど。」
それでも娘さんは聞きませんでした。
「彼とは事件が起こる前からつきあっていた。」
「好きな人がたまたま災難にあったのだ。」
「あの事件から何年も経ち、私は彼をずっと見ていた。」
「不幸に遭い障害者になっても、彼はくじけなかった。」
「そんな彼を尊敬している。不幸な障害者への同情などではない。」

「真剣に彼を愛している。」

家族の話合いはいつまでも続きました。
長い、長い、長い話合いの末、彼らが出した結論は……


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


どんな結論だったんでしょうね?

実は、その先は私も知らないのです。
探偵は調査するのが仕事ですから、調査が終わってしまえば、その先のことは関係ありません。
結末がどんなふうになったか、わからないことも多いのです。
ひとまず、私の知っていることはこれで全部。この話はこれでおしまい。

写真

未曾有の災難に遭ったけれど、くじけずめげず、懸命に生きる男性と、それを理解する優しい娘さんの話。
ハッピーエンドであってほしいと願ってやみません。



探偵:M



◇上記のタグを自分のサイトに張ってリンクしよう!


探偵ファイルのトップへ戻る

前の記事
今月のインデックス
次の記事