●更新日 08/16●

タイ・伝説の売春宿『茶室』


1991年 夏、Aさんは傷心旅行で、タイを訪れた。

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▲ヤワラー

そこで、ある日本人男性のバックパッカー・B氏と出会った。
B氏はAさんをバンコクのチャイナタウン、ヤワラーにある『ジュライホテル』に案内した。
そこは日本人バックパッカーの溜まり場だった。

元気のないAさんを心配するB氏に、Aさんは自身の失恋を打ち明けた。

「茶室に行く?」

B氏は軽い口調で誘ってきた。

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▲イメージ

Aさんは、B氏が自分を気遣い喫茶店に誘ってくれたのだと、嬉しく思った。


B氏について行くと、やがて寂しい路地裏に入った。
到着したのは喫茶店ではなく、まるで廃墟のようなビル。


中に入るとドアのない古いエレベーターに乗せられた。
少し怖くなった。



上に到着すると愛想笑いをした男性が迎えてくれた。

そこで、Aさんは仰天した。

ガラスの向こうに3、4段のひな壇があり、番号札をつけた女の子たちが十数人、座っているんです。
しかも女の子達は皆どうみても小学生なんです。





『茶室』とは『少女専門売春宿』だったのだ。

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▲イメージ

客はマジックミラー越しに好みの少女を指名し、奥の個室で事を済ませるシステムであることがわかった。
B氏がそうしていたから。

混乱したAさんは反射的に一番年上そうな少女を指名した。


個室へ移動すると、中は2畳ほどの広さで薄いマットが敷かれた木箱があるだけ。
少女は木箱に座ると服を脱ぎながら倒れ大の字になった。

2秒の早ワザ。
ああ、プロなんだと、変に感心したのをよく憶えています。



しかし、である。
相手は、小学生程の年齢。
Aさんはやりきれない気持ちを抱え、何もせずに部屋を出た。





程なくして、建物の外で合流したB氏によると、
少女達の大半は親の借金の為に『女子冷気茶室』、略称『茶室』に売られたのだという。


当時、B氏のように『茶室』にハマる日本人は多かったという。
しかし94年チュアン政権により、無数にあった『茶室』は一掃される。

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▲ヤワラーのゴーゴーバー

丁度その頃にも再びタイを訪れていたAさんは、街角でこんな日本人男性らの会話を聞いた。

 『茶室』の看板出しといてババアなんか出しやがってよ!
 ホントだよ。18のババアなんか出すんじゃねえよ!





彼らは今“その世界”から帰国できているのだろうか…?



リ・コウジ 写真


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