●更新日 01/29●

元自衛官の反戦ストリッパー・沢口ともみ


1月10日慢性骨髄単球性白血病のため死去した元自衛官の反戦ストリッパー・沢口ともみさんの追悼集会が開催された。

享年44歳。

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沢口さんは呉市に生まれ高校卒業後上京し陸上自衛隊に入隊。

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男女関係なく活躍できるとの希望を抱いていたが現実は違い失望し除隊。
その後街でスカウトされストリッパーに転身。

当時のストリップの稽古は今よりも厳しかったそうだが、沢口さんは一言も文句を言わず稽古に打ち込んでいたという。
そして『女体盛り』等で人気を博すも不況の波はストリップ界にもおよびリストラされてしまう。

その後イベントの司会や雑誌の仕事等をしながら反戦運動にも参加。

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沢口さんは被爆二世だった。

イラク戦争があった03年2月にはイラク・バグダッドで『人間の盾』に参加。

写真 (左・木村氏、右・高須氏)

「ある局面になると力を発揮する」(一水会代表・木村三浩氏)

という沢口さんは外務省の退避勧告が出ていたバグダッドで反戦を訴え、子供達が死んでいく場面にも直面し強い憤りを感じていたという。
しかし、その反面

写真 (左・雨宮氏)

「過激な人かと思ったら優しくて面倒見が良かった」(雨宮処凛氏)

という一面も。

帰国の際、足の腫れを冗談交じりで訴えていたが、その後白血病が判明。
しかしその後も気丈に闘病を続けブログも書き続けていたが1月10日帰らぬ人となった。

リストラ後は厳しい生活を強いられていたという沢口さんは闘病前まで、パーティから個人向けまでの出張ストリップをして生計を立てていたが、どんな場であっても決して手を抜かなかったそうだ。

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出演したVシネマ『義母旅館』の完成品を見ることなくこの世を去り、そしてこれが 沢口さんの遺作となった。

「まだ44歳だったけど、“いい女”として駆け抜けたと思う」(高須基仁氏)

死にあたりイラク・バース党からも追悼メッセージが寄せられた。


“サーディア(美しい花)”


沢口さんはイラクの人からもそう呼ばれ“いい女”として親しまれていた。



li kouji


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