●更新日 08/26●

A君の友達(最終回) 〜Tの撤収〜


数日後。A君のアパート。

お世話になりました。ありがとうございます。
A君は自分が煎れたコーヒーをすすめながら礼を言う。
いえ、別に。私は何もしていませんよ。
「探偵ファイル」の調査員はなぜか浮かない顔。



私がしたことは、N君の体にレコーダーを用意して、証拠を整理しただけです。
でも、僕一人だったらどうしていいか全然わかりませんでした。ICレコーダーを使うアイデアをくれたり、ポケットを探られてもバレない仕掛け方を教えてくれたのは探偵さんです。
そんなの、別にたいしたことじゃないです。
Nを病院に連れていってくれたり、警察に相談したりして、コツコツ準備を整えてくれました。供述書の準備も進めていたし、最後にBに署名させる「誓約書」も用意してくれました。
どれもたいしたことじゃないです。そんなことより、A君に言っておきたいことがあります。
なんでしょう?
もう、N君とは絶交するべきだと思いますよ。



今度、再びN君が同じようなことになったとしたら見捨ててしまえ、と?
人の性根というのは、なかなかには変わらないものです。
あの副店長。「誓約書」に署名・捺印させはしましたが、また、同じようなことが起こる可能性は高い。きっと起こります。
その時、私達はこういう甘い結末にしたことを後悔することになるでしょう。
N君もそうです。今回の件で、N君は何もしませんでした。誰かが助けてくれるのをじっと待っているだけでした。
こんな付き合いを続けていたら、A君はいつか、助けようとした当のN君に裏切られることになります。

そんなことは……
ないですか? しかし現に店に乗り込んだ時、A君の手に「切り札」が無かったら、どうなっていたと思います? N君は自分が傷つくのを恐れてA君を見殺しにするところだったんですよ? N君が再び同じような状況になり、そこから自力で抜け出そうとしないならば、彼はそういう場所でしか生きていけない人なんです。
いくら気の毒でも、それが彼の人生です。


そうかもしれません。僕も一生Nを助け続けるわけにはいきませんから。しかし「それがNの人生」と決めつけてしまうのも、冷たくないですか?
A君は優しい人のようですが「人を助ける」ということをあなどってはいけません。それは本当に大変なことなんです。
しかも、助けられるとは限りません。助けた人に感謝されるとも限りません。
裏切られた時や助けられなかった時に、ひどく傷つきます。
助けようとした人を憎んだり、一生自分を責め続けることにもなりかねません。
そして、心無い人達はよってたかって、あなたのことを「偽善者」と呼んで嘲笑うでしょう。
よほどの覚悟が無い限り、苦境にある人に「深刻な愛情」を持つべきではありません。

僕はB副店長を許すわけにはいかないと思いました。Bのために苦境にあるNを助けてやりたいとも思いました。
「助けたい人を助ける」というふうに単純に考えてはいけないんでしょうか?

難しい問題ですねぇ。

調査員は、コーヒーを飲みながら話す。

―――――――――――――
「探偵ファイル」には、いろいろな人から相談がよせられます。
なかには「被害」に遭い「苦境にある人」たちもいます。
そういう人たちがよく口にする台詞があります。なんだかわかりますか?
「平穏な生活にもどりたい」という台詞です。
当然といえば当然です。これを望まない人はいないでしょう。
相談を受けた以上、私達は全力を尽くします。調査もするし、加害者たちと争うことだってあります。
でも、その途中で、相談者の方が言い始める場合があるんです。
「もうどうでもいい。」「はやく忘れたい。」とね。
そりゃそうです。「平穏な生活をしたい」だけなら「現状を変えたい」「加害者をなんとかしたい」などと考えるより、
ただ「あきらめてしまう」「忘れてしまう」ことの方がよっぽど楽で簡単です。
そうして、その相談者は去ってしまいます。
あとに残されるのは、うすら笑いを浮かべる加害者と、
もはや誰のためにでもなくなってしまった私たちだけです。
「苦境にある人」のためにはじめたことなのに、途中で言われるんですよ。
「もういい。めんどくさい。あとはあんたたちが勝手にやってくれ。」ってね。
そんなことが幾度かありました。

――――――――――

「騙された方が悪い」という言葉があります。「犬に噛まれたと思って」という慰め文句もあります。
被害者は「平穏な生活に戻りたい」と言います。「早く忘れたい」と。
「悪いことをする加害者」がいて「泣かされる被害者」がいて。「それでもよし。」と言っているんですよ。世の中が、ね。


考え込むA君の前で、調査員はコーヒーを飲み干した。

A君の煎れてくれるコーヒーはおいしいですねぇ。(けれど、もし、万が一)
そうですか? あまりいい豆じゃないんですけど。
そうなんですか? でも十分においしいですよ。(それらを全部承知の上で)
よかったです。(笑)
ごちそうさまでした。じゃあ、これで撤収します。(それでもなお「認めない」「あきらめない」と)
はい。お世話になりました……あの。
はい、なんでしょう?(言い張る人がいたとしたら)
何かあったら、また、相談してもいいですか?
ええ、いつでもどうぞ。(笑)



(私はその人の味方になりたいと思います。)


A君の友達〜完〜



探偵ファイル・九坪


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