●更新日 08/30●

ジェノサイド


先日、キリングフィールドの話題を取り上げたのだが、キリングフィールドを語る上で忘れてはいけないのが今回お伝えする「トゥールスレン収容所」だ。
プノンペン市内の中心部に位置する同収容所はもともと高校だった建物をポル・ポトが率いた軍隊“クメールルージュ”によって刑務所とされ、S−21(Security−21)と呼ばれた。

写真 収容所の塀には鉄条網が張り巡らされている

博物館でもらったパンフレットによると、“トゥール(Tuol)”は次の意味を持つと書かれている。
“The ground that is higher in level than that around it”
“スレン(Sleng)”は形容詞として“Supplying guilt”“Bearing poison”“Enemy of disease”などの意味を持っており、名詞としてはカンボジア原産の2種の毒のある木を表している。つまり“トゥールスレン”とは、「毒のある丘」「罪を課す丘」という意味を持っていることになる。

写真 収容所でもらったパンフレット

ポル・ポト政権は全土で既成の社会秩序を全て否定する過酷な社会主義改革を行った。そして、革命を妨げるものは全て反革命分子=スパイとみなされ収容所に投獄された。
トゥールスレン収容所には、学生、旧政府関係者、医者、教授、主婦など知識人を中心にありとあらゆる人々約2万人が収容され、拷問を受けた後、次々と処刑されていった。つまり、ここで処刑されていった人たちが、キリングフィールドに廃棄されていったということだ。
ちなみに、

生還者はわずか6名(!)だという。

中に入ると、その当時使われていたベッド、トイレ、足かせなどが残されていた。部屋の所々には拷問を受けた人の血しぶきがいまだついており、その拷問の凄惨さを物語っている。
現地のガイドによるとこれでも、かなりきれいになったそうで、少し前まではとても見れたものではなく、中には失禁、嘔吐までしてしまう人もいたとのこと。

写真 写真
(左)ベッドなどは当時実際に使われたもの    (右)いまだに残る血のりの跡

写真 このベッドを実際に使った人物の写真

少し部屋を進んでいくと、被害者たちの生前、死後の写真、6名の生存者が描いたその当時の拷問の様子の絵、実際に拷問に使われた道具などが展示され、さらにその当時の様子がリアルに伝わってくる。

写真 子供用の足かせ

写真 写真
生存者の描いた拷問の様子

極めつけは本物の人間の頭蓋骨をつかって作成されたカンボジア全土の地図だ。今はあまりにも見るに耐えないということで写真しか残っていないのだが、ほんの数年前までは実物が展示されていたということだ。

写真 現在は写真のみとなっている。

拭いきれない悲しい歴史、目を覆いたくなるようなリアリティ。

写真 収容所に収容された人々

収容所での安全規則が掲げてあったので、これを読むと当時の収容所の状況がよくわかる。

1、 お前は私の質問に従って答えなくてはならない。
2、 あれこれ口実を作って事実を隠匿しようとしてはならない。お前が私を疑うことは厳しく禁止されている。
3、 革命をあえて妨げる奴みたいな馬鹿になるな。
4、 お前は考えるために時間を無駄に使うことなく直ちに私の質問に答えなくてはならない。
5、 お前の不道徳な行いや革命の本質について私に語ってはならない。
6、 鞭打ちや電気ショックの間少しでも叫んではならない。
7、 何もするな。座り続け私の命令を待て。もし命令がなければ、静かにしていろ。私が何かをするように尋ねたら、抵抗することなく直ちに行うこと。
8、 お前の裏切りを隠すために、カンボジアについてあれこれ語るのはやめろ。
9、 もし全ての法に従わなければ、もっともっと多くの鞭打ちと電気ショックを受けることになる。
10、 規則のいかなる点について従わなかったとき、10回の鞭打ちか5回の電気放電ショックを受けることになる。

この規則を守れなかったら処刑される。この規則を守っても処刑される。
質問に答えなければ約1ヶ月の間、拷問を受け続け処刑される。質問に答えたのであっても即座に処刑される。

人を人として扱わず、家畜以下として扱っていた、ポル・ポトの悪政。
ポル・ポトの朽ち果てた胸像の顔に刻まれた×印が、ここを訪れた全ての人々の気持ちを如実に表しているようだ。



探偵ファイル



前の記事
今月のインデックス
次の記事