●更新日 08/13●

日本の職人シリーズ 〜扇子職人〜


日本には古くから多くの技・業が伝わって来ました。
その技を体得し、行使する為に汗を流して目的を為し得た人の事を“職人”と呼びます。
見る者を魅了する数々の品が職人の手によって、作られて来ました。
しかし、近代化が進んだ現代。古き良き技は失われようとしています。
「その技を広く伝えたい」「知って貰いたい」。その想いを記すこのシリーズ。
第2回目は、『江戸扇子職人』
取材をお受け下さったのは、松井宏親方です。

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「江戸扇子」とは?
本来、涼を取る為に用いられていた扇子は初め、うちわの様な1枚の形式でした。それが時代を経て、今の折り畳み式になったのです。
その扇子の主産地として、京都が有名ですが、江戸(現在の東京)でも独自の技法により作り出された扇子があります。その名の通り、それが「江戸扇子」です。
噺家や、客席で使われている高座扇子が、江戸扇子です。
京都の日常的扇子は、扇骨(「せんこつ」。紙の間に入る細い木)が25〜60本。大抵は40本ほどの物が一般的です。

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  ▲折り目と扇骨が多い「京扇子」

それに比べ、江戸扇子は“粋”を重んじ、扇骨は僅か15〜18本。

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▲全体的に、あっさりとしている「江戸扇子」

扇子は京都で生まれたモノですが、それを自分達風のモノにしてしまうあたり、“江戸っ子の心意気”を感じさせます。
特徴としては、華やかさ・派手さよりも、地味ながら粋な風情を表しております。

扇子職人になろうと思われたのは何歳の時、どのような事からですか?
11歳の時から父の手伝いを始め、そのまま扇子職人の道へ進みました。
昔は沢山居た扇子職人も、現在は驚くほど少なくなっています。
“この技をこのまま失くすのは忍びない”
“私が止めたら、滅びてしまう”
その想いから、この道を続けています。

修行をされている間、辛い事などはありましたか?
これと言った辛い事はありませんでしたが、強いて言うなら……。
何事もそうだと思いますが、最初の頃は、父に出来る事が私には全く出来なかった。傍からは簡単そうに見えて、技は奥深い。直ぐに出来るようになるものではないのです。
ですから、父が眠った後に1人で起き出し、寝ないで練習した時期がありました。

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        ▲松井親方の美麗な作品

1番の喜びはなんですか?
やはり、納期までにピッタリと作り上げ、出来た物を買ったお客さんが喜んでくれている事ですかね。
その話を聞くと、「ああ、扇子職人で良かった」と思えます。

素材はどのような物を使用するのですか?
紙は和紙を、竹は真竹を使用しています。よく孟宗竹(モウソウチク)がありますが、あれは節の間が短いので使えません。節の間が40cmと長い真竹を使います。糊はヤマト糊ですね。これがいいです。

どのような行程ですか?
大体の流れでお話します。
1日目に、和紙を合わせる下地作り。これは100〜150枚ほど一気にやってしまいます。出来たら紐に吊るして乾燥。乾燥出来た和紙を扇面絵師に預けます。「絵付け」。
2日目に、「絵付け」が出来た和紙が届いているとして、「折り」まで進みます。
3日目に、「骨付け」。
4日目に、「仕上げ」となって出来上がりです。
(※詳しくは別ページで!)

仕上がるのは現在では、1日に5〜10数本くらいです。季節や天候によっても左右されます。
扇子作りにとって、もっとも嫌な季節は梅雨ですね。紙が乾かないので、紙を乾燥させる事が出来ないからです。

昔に比べて、扇子が変わった事はありますか?
一時期……数年前でしょうか? 「ジュリアナ東京」というものが流行りましたよね?
そこで女の子達が“ジュリ扇”と言う扇子を使っていた訳ですが、そのおかげで、若い人達にも扇子が浸透したのです。
今だと、若い人達でも街で持っている所をよく見掛けますよね? あのジュリアナのおかげで扇子も若者に受け入れられるようになったのです。
どこで何があるか解りません(笑)。

最後に一言
最近は、中国からの輸入品ががいっきに何万本も日本に輸入されて来ているのです。
「扇子は扇子」と言ったら終わりですが、扇子にも本物と、そうで無い物があります。
どうせ持つのなら、デパートなどでは売っていない、昔から伝わる“粋”と“洒脱性”の生きている江戸扇子を持ってみては如何でしょうか?



現代に活きる職人の技。
素晴らしき技術を次の世代へと受け継いで行きたいものです。

ここからが本番! 江戸扇子が出来るまでを記したページはこちら!
江戸扇子 製作工程



協力:『日本職人名工会



探偵ファイル・キム



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