パレスチナの空の下
〜 第2話 〜


ある時、1人の少年は思った。「自分に出来る事は何か?自分が為すべき事は何か?」

少年は、思った。「何も出来ない。プロじゃないし、けど、見て来た事を伝える事なら出来る」……と。

このシリーズは、パレスチナ〜イラクに渡り、日本のTVが報じない事実を記す、とある少年…『安川』のドキュメントである。



イスラエル軍はパレスチナ自治区内に幾つも、”チェックポイント”と言われる検問所を作り、パレスチナ人の活動や外国人の移動を制限している。

私もパレスチナ人と一緒にバスに乗っていたので三時間炎天下のバスで待たされ、パレスチナ人に水や食べ物を貰い、助けに来たつもりが助けられてしまった。

これがパレスチナ人は毎日続くことだ。仕事に行くとき帰る時など。いつもチェックポイントにはパレスチナ人の行列が出来ていた。パレスチナ人とイスラエル人とではIDカードの色も違い、明らかな弾圧が行われている。

そして次に新市街を回った。新市街という所は自爆攻撃(日本の新聞では自爆テロ)がよく起こる所で、ビル・ショッピングセンター・レストランなどが揃い、エルサレムの中心的な所だ。首都と言われているが、イスラエルの本当の首都機能はテルアビブと言うところにある。

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▲おもちゃの鉄砲をかまえる子供たちです。町中に殉教者のポスターがあふれおそらく殉教者のまねをしています。(撮影:安川)

私はショッピングセンターの前に、黒い棒のような物を持った人がいる事に気付いた。よく注意してみると他の店にもいるようで、入ろうとして解った事だが、それは爆弾、銃の持ち込みを避ける為の金属探知器だった。エルサレムではマクドナルドに入る時も、ショッピングセンターに入る時も、荷物検査・ボディチェックが行われる。日本では考えられない事だった。

エルサレム発のバスに限っては、完全防弾ガラスでイスラエル兵が乗り込み、飛行機と一緒のX線検査、金属探知器を通らなければならない。ところが市内を走るバスはノーチェックなので、バスに乗ったのはいいが、いつそのバスが爆発するか?と考えてしまうとやはり怖い。

街を歩くと50メートルに2人は完全武装イスラエル兵が配置され、「犬も歩けばイスラエル兵に当たる」状態だ。そして特殊部隊の格好、武器を持った兵隊が街をバイクで2人乗りをしてグルグルまわっている。祭りにもなれば、祭のある地区を封鎖し、出入り口を設け、そこでボディチェックなどが行われる。いったい警備にいくらかかっているのか。これだけの兵力を割り、お金をかけてまで、弾圧して抵抗を呼ぶ方法よりも、和平策を考えた方が国益を生むと痛切に感じた。

乱雑にバスに乗り込む。気分はこれから初めて基地に向かうバスに乗る新兵のようだった。遂にパレスチナ非暴力支援団体に参加する日が来たのだ。

周りは全て外国人、自分だけが日本人。パレスチナ自治区に向かうという微妙な緊張感が自分のなかで漂い始めた。

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▲これはパレスチナの殉教者のポスターです。自爆攻撃、やイスラエルに殺された人はこのポスターになり、英雄です。パレスチナの抵抗勢力が作り、子供がこれを見て育ちます。これはずっと戦い続けるようにする洗脳だと思います。双方が洗脳をやめるべきだと思います。(撮影:安川)

その緊張感が漂う中、早速隣に座わっていたイギリス人が自分に興味を示したらしく話し掛けてきた。自己紹介をして話が本題に入る前にまず自分はあまり英語を話すのが上手くないと伝えると、彼は「私は日本語が話せないから問題ない」と面白い答えを返してくれた。

そうこうしているうちに、自治区へ入る検問所が現れてきた。検問突破を避けるため、スピードが出ないように、石が蛇行運転になるよう置かれてあり、すぐ横には見下ろすように大きな監視塔が建ち通行者を監視している。

すぐに入れるのだと思ったのだが、運転手が降りていき検問所のイスラエル兵と話している。15分ほど経っただろうか?運転手が戻って来て、ここはダメだと言って車を戻し、走り始めた。

なんとパレスチナ自治区に入るのを拒否されてしまった。パレスチナ自治警察の手ではなくイスラエルの兵隊の命令で。もうこれで今日はあきらめるのかと思ったが裏道で行くようだ。

自分たちは外国人で、このような思いをするのは、この国にいる期間だけだが、パレスチナ人にはこのような自分の町にも帰れないといった状態が故郷にいる限り続く。

細い、裏道で車を降り徒歩で越えるとそこはもうパレスチナ自治区であった。訓練を受ける建物まで、パレスチナの緑ナンバーのタクシーで、向かうが途中の光景はイスラエルのものとはまた違ったものだった。おそらく攻撃ヘリコプターや戦車によって壊された建物、一般民家。これが普通の光景となっているこのまちに悲しみを覚えた。

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▲これは民泊したときの写真です。中央が私です。(撮影:安川)

建物に着くと早速、ミーティングが始まった。しかし、大きな問題が自分を襲う!まったく英語が聞き取れない。これは致命的な事だった。日本の遅い英語で慣れた自分の耳は、早送りの英語が途切れ途切れの単語しか聞き取れなかった。
その事を仲良くなったチェコ人に話すと、自分の席の隣に座り、ある時は、ゆっくり本題を要約してくれ、そしてまた絵に描いて教えてくれたりもした。これはそのチェコ人だけではなく、幾人もの人が自分に出来る事はないか?解らない事はないか?などと、いつも気を配ってくれた。

人間性の大切さ、自分はここまで困っている人に尽くせるだろうか?そのような自問自答を繰り返し、民族など関係なく、付き合ってくれる彼らの事を尊敬した。

< つづく >



( 探偵ファイル )


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