パレスチナの空の下
〜 第1話 〜


ある時、1人の少年は思った。「自分に出来る事は何か?自分が為すべき事は何か?」

少年は、思った。「何も出来ない。プロの記者じゃないし、特別詳しい訳でもない。けど、見て来た事を伝える事なら出来る」……と。

このシリーズは、パレスチナに渡り、日本のTVが報じない事実を記す、とある少年…『安川』のドキュメントである。



アンマンから車で約一時間。タクシーを値切り、イスラエルとの国境に迫る。途中の道では日本では見られないような渓谷のような絶景、そしてけたたましいクラクションの音が、異国の地だと思わせた。

ヨルダン側の兵隊はピストルベルトもしていないような、だらしのない兵隊だったが、イスラエル側に入ると、空気がピリっと変わり、M16ライフルを持つ完全武装のイスラエル兵は緊張感を持ち、それが自分に顔のこわばりと共に伝わって来た。

イスラエル入国審査では、泊まる宿の名前を安宿と入国カードに書いた為、別室に連れて行かれ、カバンの中身をぶちまけられ、ノートの中まで全て調べられてしまった。さすがイスラエル!

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      ▲イスラエル国

なぜ泊まる宿を書かなかったかといえば、そこはイスラエル政府から嫌われ、弾圧されているパレスチナ支援の団体が主に泊まる宿で、そこの名前を書いてしまうと入国拒否となってしまうからだ。しかも、頼みの綱の「地球の歩き方」を預けてしまい、他の宿の名前が分からなかった。

なんとか現地で宿を決めると押し通し、1ヶ月限定でビザが貰えた。そして約3時間の長い入国審査は終わり、エルサレムに向かった。
(※アラブ人はもっと入国審査に時間がかかり、しかも入国拒否をされている人は沢山いる)

エルサレムに着き、例のドミトリーの宿に荷物を置き、シャワーを浴びて戻り、街を散歩しに行こうと準備をすると財布がない!やられた! たった十分ほどでやられてしまった。まだ少額用の財布だったから良かったが、幸先が悪い出来事だった。(損失額約30ドル、他)
おそらく同室の16人中の誰かだ。だが、皆疑心暗鬼になるとイヤなので、オーナーへの報告は避け、友達だけには注意を促した。その後そのホテルでは財布こそ盗まれなかったが、冷蔵庫に入れてある水や食べ物を何度も盗まれ、困った。

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▲虐殺があったパレスチナ、ジェニンキャンプの子供です。日本人はこの笑顔を忘れました。
(撮影:安川)


気分を入れ替え、エルサレムの散歩に向かった。まず城壁の中のムスリム地区(旧市街)を回った。人、人、人、とにかく人が多く、活気があり市場のようだった。
地べたに座り、草を売る人、野菜、果物、Tシャツ、何でも揃い、見ているだけで楽しい。しかも裏にはハマスのTシャツまでありこっちが心配してしまう。観光客が来ていた時は、もっと活気があったと聞き驚いた。しかし、やはり戦いの影響でお土産が売れず、頼むから私を助けるつもりでお土産を買ってくれ言う人も幾人もいた。

歩いていると「チャイナ、チャイナ」とからかってくる子供が何人もいて、いちいち日本人だと言うのも疲れるほどだ。彼らは中国人を下に見ているらしい。

いっぺん平和に見える所だったが城壁、門には完全武装のイスラエル兵が威嚇するように配置されている。そしてパトロールなどをして、道を塞いだりしているので、もちろんアラブ人住民には、よく思われていない。そしてパレスチナ住民は銃を持てないが、イスラエル人は持てるといったおかしいことが平然と存在している。
その他、この国はパレスチナ人登録の車のナンバーは緑で、ユダヤ人登録の車は黄色で、ユダヤ人登録の黄色ナンバー車はパレスチナ自治区とイスラエルを自由に通り抜け出来るのだが、パレスチナ人登録の緑ナンバー車は炎天下の下で何時間も嫌がらせで待たされる。これは車だけでなく人間にも言える。

< つづく >



( 報告:パレスチナ特派員 安川 責任編集:キム )


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