水俣・川崎展
〜 忘れてはならぬ事 〜


昭和回顧シリーズ第2弾。
今回は、義務教育の過程の中で、必ず耳にした事があるであろう有名な病、『水俣病』について触れてみたいと思います。
その水俣病について、各地で行われている「水俣展」。その川崎展に取材して参りました。

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まずは、何も考えずにこの写真を見て下さい。

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これがどのような写真なのかお解かりでしょうか?
なにもわざと指を組み合わせている訳ではありません。とある病の影響で、”指が変形し、硬直”してしまったものなのです。
本人の意思とは関係無しに、指に変形が生じるほどの毒性を持つ病。
それが、『水俣病』です。
では、水俣病がどのようなもので、どのようにして生まれたのかを説明していきます。
(※全てを語るにはあまりにも大きな問題ですので、簡潔な記事である事をご了承下さい)

◆ 始まり
1956年。熊本県水俣市出身の女の子が突然、口がきけなくなり、意識朦朧とした状態となった。慌てた両親が病院に連れて行くが、原因不明。対応に逡巡する内に、その少女の妹までもが同じ症状となった。一時は、”伝染病”の噂も広まった。しかし、その一家を皮切りにそれこそ無数の人間が、その奇病を発症したのである。
調査により、その伝染性は否定された。「伝染病でなければなんなのだ?」。疑問が高まり、謎の奇病の噂はどんどん広まって行った。そして、その奇病の原因は、水俣市にある工場の排水では無いかとの疑いが出る。
人々は謎の奇病の事を、『水俣病』と呼ぶようになった。
1957年。水俣保健所の実験により、猫が発症。奇病の原因が、水俣湾産の魚介類にあると指摘するが、厚生省は、これを根拠が無いと否定。
1959年。7月、熊本大学が有機水銀説を発表し、11月に食品衛生調査会が厚生大臣に答申するが、即日解散させられる。
1963年。熊本大学医学部が、”原因はチッソ水俣工場アセトアルデヒド排水中のメチル水銀化合物を蓄積した水俣病の魚介類”と正式発表する。水俣病の原因は、チッソの水銀垂れ流しが原因だったのである。

◆ 原因
水俣病の原因、それは水俣市に君臨していた『チッソ(旧:新日本窒素肥料)』の工場排水だった。
排水中に含まれるメチル水銀が不知火海に蔓延し・汚染。その海水から汚染されたプランクトンを魚介類が体内に摂取。食物連鎖の頂点である人間がそれを食べる。水銀は人間の体内でどんどん蓄積され、濃度を強めて行ったのだ。そして、体内に蓄積された水銀の中毒性により、水俣の人々は『水俣病』を発症して行ったのである。
漁が盛んであった不知火海沿いの人々が、魚を食べるのは当然の事。更に、漁で暮らしを支えていた漁師にとって、汚染された魚を捕る事がかなわなくなったのは、あまりにも酷な事であった。

この有毒な工業排水は、1932年(当時:「日本窒素肥料」)から延々と不知火海に流され続けていたのです。

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左の図は、発病者数を数年置きに表した物。年を重ねるごとに増えているのが解る。
右の図は、工場から流される排水。この中に有機水銀が多く含まれていたのだ。

実は、1956年に、水俣病の届出が保健所に出される前から、水俣市の人々は、海に異変が起きており、その原因が工場排水にある事を知っていた。工場廃水と魚の因果関係を現地調査して作成した「復命書」を熊本県水産課の三好氏が提出したが、行政はそれを黙殺したのだ。

その背景には、「チッソ」の調査妨害・「日本化学工業協会」のチッソ支援。そして、”経済成長最優先”の「通産省」と「自民党政府」が存在していたのだ。この圧力により、厚生省は、原因が水銀である事を認識しながら、追及をしないという方針に出たのである。逆に、チッソに工場閉鎖を訴えた不知火海の漁師達は、暴徒として投獄されてしまったのである。

『水俣病』は、高度成長期に入った日本が生み出した病気だったのだ。

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これは「水俣病」が発症した猫たちを表したもの。人間より身体の小さい猫は、人間より先に発症し、壊れたおもちゃのように、同じ所をグルグル回る事しか出来なくなったりしていった。

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これは、実際に水俣病で苦しむ子供たちの写真。
水俣病は、大人だけでなく、多くの子供たちも苦しめたのだ。

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妊娠中に母親の身体から水銀が移り、生まれた時から水俣病患者であった方の写真。
水俣病は、胎児にも影響を及ぼすものなのである。

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これは水俣病患者が飲み続けていた大量の薬。この薬を飲んでいても、水俣病が完治する事は無かった……。

では、水俣病とはどんな症状なのかをまとめてみる。

◆ 症状
・知覚障害…手足の感覚が鈍くなる
・視野狭窄…見える範囲が狭くなる。死角が増える。
・運動失調…ふらついたり、もつれたりする。
・聴力障害…よく聞こえなくなる。
・言語障害…会話が不自由になる。
・企図振戦…行動に移そうとすると、身体の各部が震える。

などである。これは特徴的なものだけで、水俣病はこの他にも無数の障害が出る。
有機水銀によるこれらの症状をまとめて、『ハンターラッセル症候群』と呼ぶ。

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会場に展示された、数々の生々しい写真。全てが水俣病によって健やかなる生活を奪われた苦しみを訴えるものとなっている。

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水俣病の苦しみを作品とした物。左:中村正義「何処へいく」。右:丸木位里・俊作「水俣の図」。
水俣病は、作家にも多くの影響を及ぼした。

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これは、水俣病の事を訴え続けた人々が使用していたもの。”怨”の1字が、チッソに対するその凄まじい感情を表している。

水俣の人々との戦いの末、遂に政府とチッソは、正式に水俣病の原因が工業排水にあった事を認め、謝罪を行った。しかし、水俣病によって亡くなられた方々が戻って来る事は無いのだ…。
全ての責任がチッソと政府にあった訳ではない。
そのような状況・雰囲気・流れを作ってしまった当時の日本、及び国民にも責任の一端があるのだ。
これからの日本で、新たな公害が生まれないとは言い切れない。我々は既に過ちを犯している。だからこそ、過去を振り返り、2度と起こしてはならぬ事がある事を記憶しておかなければならない。

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水俣病被害者の方々の冥福を祈って

追記
次回は、「札幌展」を行うそうです。ご興味を持たれた方はこちらをチェック



( 探偵ファイル・キム )


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