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〜 原爆ドーム・広島記念資料館 〜 昭和回顧シリーズ第1弾。 今回は、原点復帰の意味も含めて、広島市にある『原爆ドーム』と『広島記念資料館』を取材して参りました。 核の…そして戦争の恐ろしさを、ご存じない方は”知る事”、ご存知の方は”見つめ直す”と言う意味で読んで頂きたく思います。 最初に、”第2次世界大戦”と”原爆”について簡単に説明を。
簡単ではありますが、これが原爆投下までの流れです。 それでは順を追って、お話を進めたいと思います。 まずは、広島で1番有名なこちら、 ![]() 原爆ドーム。 もともとは、「広島県産業奨励館」。この建物から直ぐの場所が、原爆の爆心地となりました。 建物のガラスや屋根は吹き飛び、頑強なレンガ造りが半壊状態となった。現在も生々しく残るその傷痕に、爆風の強烈さを感じさせられます…。
![]() こちらは、「平和記念公園」に全国から届いた折鶴など。 「原爆の子の像」の下には数え切れないほどの折鶴が置かれておりました。それだけ、心から平和を望む人々が多いと言う事なのでしょう。 ![]() 平和記念公園を奥に進むと見えてくる建物が、有名な「広島平和記念資料館」です。 それでは中に入ってみましょう。
![]() 左の画像は、爆発直後の広島市内を表した模型です。画像の上部にぽこっと出ているのが原爆ドームです。 爆心地(グランド・ゼロ)から2Km四方は、ほぼ焼け野原と化しました。勿論、その周辺にいた多くの方々も一瞬にして命を失いました。 右の画像は、実際に焼け野原となった広島市内の写真のパネルです。広範囲に渡って荒廃しているのが解ります。 ![]() ▲展示された品々 ![]() これは、被爆された方をリアルに表現した人形です。 被爆された方々は、そのあまりに強い熱線によって、皮膚がただれ、手や足からドロドロと垂れ下がってしまうのです。 これに生き延びたとしても、放射能による後遺症は強く、更に多くの方が亡くなりました。 ![]() これは、原爆が炸裂した瞬間(8時15分)の時を刻んで静止したまま、永遠に動かない時計です。 ![]() これは、原爆の熱によって瞬間的に溶解し、くっついてしまった大量のガラスの小瓶です。 広島に原爆が投下された理由としては、「都市の大きさや地形が実験に適していた」「軍事施設が集中していた」などと推測されております。 理由が何にせよ、原爆によって日本(広島・長崎)が被害を受けたのは事実です。 アメリカの言い分もあるでしょう。 しかし、1番の原因は”お互いに戦争を行ってしまった事”です。 現在の私達、日本人は戦争の恐ろしさを知らない世代となってきております。今が戦後であり、戦前とならぬ為にも、もう一度見直す必要があるのではないでしょうか? 2度と過ちを犯さぬように、祈りを込めて…。 ![]() 追記 片手切られた米の「原爆の子」像、修復募金待つ ( 探偵ファイル・キム ) |
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