そして伝説へ…シリーズ コミケ米澤代表(前編)

〜 コミックマーケット創立秘話! 〜



皆様、お元気ですか?キムです。これまで私が取材した様々な記事(コミケ)でマニア業界の事を少なからず知って頂けた事だと思います。私も随分詳しくなってしまいました。

ここまで来ると絶対に見逃す事が出来ない方が1人いらっしゃいます。

そう!コミックマーケット創立者である米澤嘉博代表です。

業界のトップと言っても過言では無い、大御所中の大御所である米澤代表への独占インタビューに探偵ファイルは成功致しました。しかも、まだ誰にも語った事の無い貴重な内容(裏話)ばかり!今回は米澤代表が本心を覗かせたインタビューを前・後編に分けてお送りしたいと思います。




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―――まず初めに、コミケを開催しようと思われた動機はどのようなものだったのでしょうか?
1975年当時の事なのですが、今みたいに同人誌もなかったし漫画雑誌も、ゲーム雑誌も、アニメ雑誌も無かった時代でね、漫画と言えば週刊誌が4誌あるだけだったんです。漫画と言えばもっと色んな事が描けるし、色んなスタイルが描けるはずなのに、商業的な漫画誌しか無い。漫画と言えば、梶原一騎のスポコン漫画と学園ラブコメばかり。そんな時代の中で漫画は他にも色々出来るんじゃないかと思っていたのです。しかし、出版社に働きかけて何か出来るような時代では無かったし、マニア誌やマイナー誌が成立している時代でも無かった。そこで、漫画が発表できる場所が無いといけないんじゃないか思っていたところ、契印のコピーが普及し、ミニコミとかタウン誌が出始めていたので、そういうミニコミの様な形式で本が出来るんじゃないかなと思い立ち、自分達で作った本で漫画の表現を進化させて、それで読者の状況も変えていこうと仲間達とやる気になったのです。そして、漫画評論という形の本と、その本を発表出来る場としてコミケを自分たちで開催する事となったのです。

―――コミケ以前に、“同人誌即売会”というイベントは存在したのでしょうか?
無いです。漫画大会とか、SF大会というイベントのファンジンのコーナーの片隅に自分達で作った本を置かしてもらって、細々とやるくらいでした。コミケのように同人誌を見せる、または売る。それだけのイベントって言うのは初めてでした。


写真2 ▼クリックすると拡大します。▼
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記念すべき第1回コミケの開催地「日本消防会館」と参加サークル。ここから伝説が始まった…。


―――第1回コミケの時、コミケというイベントがここまで大きくなると予想されておりましたか?
よく訊かれます(笑)。漫画って言うのは読む事と描く事が近いのです。小学生の時みんな漫画絵を描いたでしょ?それと同じで、漫画を読んでいるうちに自分でも描こうと思う人は大勢居るのです。それがプロ作家になれるかどうかって言うのは、商品になるかならないかと言うのと同じでしょ?でも商品にならなくても面白い作品はあるし、伝えたい事ってのは上手い下手じゃない。それを考えた時に、1回目のコミケは32サークルで参加者が700人だったんだけど、この700人が全てサークル参加者になるって事はありえると考えていた。読み手が描き手になる事を。その13年後くらいに同じ質問をされました。その時は、「思っていました」と答えました。“いまこうやって5万人参加者が来ていますが、サークルでも5万人来るようになりますか?”と訊かれた時にも「そうなるんじゃないですかね」と答えました。今ではその通り30万人以上の参加者、5万サークルの申し込みがありますからねぇ(笑)。100%それを信用していた訳じゃないけど、その可能性は高いと考えていました。


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▲こちらは、第2〜4回コミケ開催地「板橋産業連合会館」


―――では、こんなにも長く続く事も予想されておりましたか?(現在63回開催)
難しいところですね。コミケというのは趣味の活動の場です。サークルも、スタッフも、一般参加者も趣味の活動に近いところがあります。逆に趣味とか理念とか目標というものがあるから、止めようと思えば何時でも止められるところがあります。最初に作った理念はコミケットは”場”である。色んな人の表現とその表現を受け取る自由の場である。その自由の場として続けていかなければその表現も出る事は無いし、受け取る事も出来ない。だから場の維持が一番の目的なんですよ。そういう意味では、「いつまで続けられるか?」とか「いつまで続けていけるか?」って言うのは努力目標であり、僕が自分で辞めるって言うまで続くような状況に持っていきたいというのはありましたね。


写真5 写真3
▲第5〜8回開催地「大田区産業会館」と初のサークル配置図。
ちなみに共信印刷さんが初めて当日搬入をした会場でもある


―――共信印刷さんにご依頼された経緯は?
当時、私たちはこのようにしてコミケをやっていたんですけど、ミニコミの様な雑誌形式でやっていたんですよ。フリーペーパーみたいな。当日のチラシとかをそれまではガリ版で作っていたんですけど、回を重ねるごとに参加者が増えて行き、流石に200とか300枚をガリ版じゃ刷れなくなって来た為、安い印刷所は無いかって事になって、当時付き合いがあった『水族館』と言うブックレットに、“こういう安い印刷所がありますよ”とその共信印刷が紹介されていましてね、それを見て連絡を入れたのが始まりでしたね。
(※キム註:共信印刷さんは当時、「シルバーマスター」という印刷技術で、“安い”“速い”と業界で評判だったそうです)

―――今までで1番楽しかった事はなんですか?
毎回なのですが、無事に終わって、好きな本を買って、酒を飲みながら読む事ですね。この時が1番幸せです(笑)。


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▲コミケの故郷とも言える、今は亡き「東京国際見本市会場」。
開催は第19回から。



―――今までで1番困った事はなんですか?
コミケットって言うのは参加者全員が求めて来る場であって、みんなで協力してあって作っていくという形のモノなのです。綺麗事かもしれませんが、ずっとそのようにしてやって来たんです。…けど、1人や2人、もしくは1グループだとは思うのだけど、脅迫状とか嫌がらせみたいな事件を起こす人達がいる。そういう人間がいると言うのはとても残念です。普通そういう場合は、「来たくなければ来なければいいんじゃないか」、「こういう場所が嫌だったら別の場所に行けばいいんじゃないか」と思うんだけど、必要以上に怖がる人が出て来るし(発火装置や爆弾があるのじゃないかという不安感)、本来のコミケの趣旨とは別に関わろうとする方がいる。それが本当に残念であり、嫌な事ですね。



漫画の自由な表現の場を求め、世に無かったからこそ自分たちで創ったコミケ。創成期には大変な苦労があったそうです。それでも試行錯誤を繰り返し、ここまで成長させたのですね。また、コミケが時代の波に乗り大きくなる事も読まれていた眼力には、頭が下がる思いです。
コミケ誕生秘話いかがだったでしょうか?次回は、米澤代表の密かな“夢”に触れていきたいと思います。



インタビュー番外編 米澤代表の娘さんに訊きました!
米澤代表の素顔に迫ります。これもかなり貴重

―――お父さん(米澤代表)はどんな人?
普通だと思う。短気だけど(笑)。料理するのが好きなんだよ。
―――コミケの事はどう思う?
楽しい。面白い。
―――同人誌を買ったりする?:
買いまくり!…あ、でも、買って来てもらう事の方が多い。お父さんに頼んだりしてる。
(キム心の声:娘さんに同人誌を買って来るよう頼まれる代表の画って凄いかも…)
―――好きな漫画は?
お姉さん:『幻想水滸伝』
妹さん :『テニスの王子様』

ここで私(キム)にとって悲劇が!
お姉さんぁゃιぃお兄さんがいるから近寄っちゃダメだよ」
妹さん「うん」
キム「ぁゃιぃお兄さん… 

キム大ショック!

おまけにスタッフに方に「あの人見知りしない子にそんな事言われるとは…」と笑われるし、米澤代表に「娘に色々訊いたみたいだね」と苦笑されるし。私、何か悪い事しました?
とほほ…いつもこうだよ《TдT》

(後編に続く)

コミックマーケット公式サイト(http://www.comiket.co.jp/





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