アフガンへ向かう日本人義肢装具士

〜 アフガニスタンに埋没する対人地雷問題 〜



このような絵本がある。


写真1
『 心をこめて地雷ではなく花をください 』


アフガニスタンに埋没する対人地雷問題について呼びかけた絵本である。

サビーラが気がついたときはベッドの上でした
右足が失われてしまいました 
「2日間かかってようやく診療所に運ばれてきたんだ 生命が助かっただけでも 運がよかった」とおじさんは言っていますが、私は運がよかったなんて思えません
「お父さんとお母さん そして足を返してよ!」

(内容を一部抜粋)


アフガン国内には、1979年の旧ソ連軍の侵攻などで1000万個もの対人地雷が埋められているとされ、赤十字国際委員会のセンターで地雷の被害者約2万6000人が治療を受けたが、義足の供給は追いついておらず、ポリオ(小児麻痺)で下半身不随の子供も多い。
義肢装具士であり「鞄゙良義肢」の代表取締役である瀧谷昇さんは、27年前、技術指導のために約1年間滞在して以来、アフガニスタンへの愛着と関心を持ち続け、昨年5月には兵庫県のNPOと連携して現地の少女に義足を贈った。その後も、ボランティアで義足作りを進め、20人分を製作、8月に再び現地を訪れ、子供たちに装着してあげる予定。


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▲鞄゙良義肢

写真3
▲瀧谷昇先生


滝谷先生自身も幼少の頃から装具(右足部)の使用者である。
小学生の頃、活躍する装具士を目にして以来、憧れを抱き、中学生を卒業するころには、装具士を将来の仕事として進路を定めていたと話す。
「義足の製作に関して、日本では3000人のプロフェッショナルと、3000人のそれを補佐する人がいます。しかし、アフガンでは5人のプロと200人の補佐しかいない。しかし、作っている数は同じなんです。つまり、過剰な大量生産で、製品としては粗悪なものしか作れていない。義肢の専門家から見れば、『義足の形をしたポリバケツ』といった程度のものです。だから、日本の義足が4年くらい持つところが、アフガンの義足は半年しか持たない。その修理のために製作者達は手をとられ、生産量が少なくなる、また、品質も低下するといった悪循環に陥っているのが実情です。他にも、質のよい義足は値段が高く、政府関係者しか手が出せない。製作者の数が少ないため、都心部から離れた僻地に住む人に行き渡らない等、様々な問題があります。」


写真4
▲義足の製作室
写真5
▲義足


瀧谷先生は、8月7日にアフガンへ向かい、15歳以下の“学校へ通う子供”を対象に義足を提供していく予定であるという。
「義足=地雷というふうに考えがちですが、子供に関しては地雷ばかりではないんです。子供は軽いから、地雷を踏んでも爆発しなかったりしますしね。それよりも、医療機能の低さからくるポリオ(小児麻痺)の方が深刻なんです。最初は風邪をひいたような症状で、だんだんと足が細っていき、歩けなくなる。前回、アフガンに行ったときもだったんですが、そういった子供を持つ親に言われることは、まず『薬をください』なんですよ。医学の知識の未熟からくる薬信仰ですね。薬さえ飲めば治ると思ってるんです。でも、それでは治らないから、やはり、装具が必要になってきます」


写真6
▲子供用装具

写真7
▲現地で使用したポスター


お金の面でご苦労なさっているのではないかと想像していました、との調査員の質問に、
「お金は無論必要ですが……言い始めると、何億円も、それこそ、軍隊を解体できるほどの金額が必要になってきます。とても、個人でできることではありません。今は、例えば企業がやるような、緊急的な支援ではなく、継続性のある支援を考えています。」


単なるお金や物資の提供に終わらず「自立するための支援」という理念については、例をあげて話してくれた。
「この写真の男性は、家にいたときロケット弾を受けて、崩れた家の下敷きになったんです。その時、頚椎を損傷して、両足と左腕が動かなくなり、右腕は動くけれど握ることができない状態になりました。お金を貯めてようやく買ったという手漕ぎの三輪車に乗っています」


写真8
▲犠牲者の男性の写真


「最初、電動の車椅子を提供しようかと検討したんですが、それだと仕事に就けないんです。働くためにどうしたらいいかというのを考えまして、車を改造して運転できるようにすれば、タクシーができるんじゃないかということで、今、計画しています」


問題はアフガンという国の内外に関わり、“義足を作ってあげればいい”という簡単なものではなく、継続して当たるべき深いものである。しかし、アフガンのあまりに違う気候や風土は日本人には過酷と言え、現地を良く知った人間が、準備段階から関わっていることが必要だろうと、瀧谷先生は指摘する。
先ずは多くの人に「アフガンを知ってもらうこと」が重要だと考え、数々の取材や講演を積極的に行い、本の出版にも協力しているという。(7月21日には神戸にて行われる「カレーズの会」(アフガン現地報告会)にて講演予定)


「本当にアフガンが好きなんですねえ。」との問いかけに瀧谷先生は、「私の活動は、そこからスタートしてますからね。」と笑顔で答える。
「かくいう私も、初めてアフガンを訪れる前は、『遅れている国』というイメージでした。しかし、半年もすると『ものの考え方が、おかしいのは俺達日本人だ』と思い始めたんです。『本当に豊かなのは、アフガンの人たちの方ではないか』と。そりゃあ、初めは『アフガンの人ははたらかないなあ』といった感想もありましたけれどね。あちらでは、給料が4000円くらいなんです。でも、住んでる家は300円くらい。仕事が9時から5時半。朝昼晩、お爺さんお婆さんも子供達も、家族で一緒に、宴会みたいに食事をする。方や、我々日本人は、給料の割りには物価も高く、残業して深夜に帰宅し、食べて寝て一日がおしまい。生活としては、日本人のほうが貧しいんではないか、と思い始めたんです。老人が大切にされ、子供が家庭できちんと躾られ、家族との時間や友人達との交流を大切にできる、そういった豊さです。私達の裕福という感覚……お金があって、車があって、という感覚ですね……これはアメリカ映画やテレビの影響が大きいんじゃないでしょうか。何故か、日本人はアメリカ人を優れていると思い、アジア人を目下に思ってしまう傾向があります。そうしたイメージを払拭してもらい『同じ人間なんだ』と実感してもらいたいんですよ。」


瀧谷先生はこの活動の展望についてこう語る。
「現在の時点で、日本のレベルで製作した義足を提供することにより、現状を改善していくのはもちろん必要でしょうが、それでは根本的な問題解決にはなりません。最終的な目標は、アフガンに義肢装具士の学校をつくり、人材を育成することです。そして、卒業生が出る頃、3〜4台のトラックでモバイルチームを作り、地方へ出向いていって、現地で製作をするといった形にするのです。5年も10年もかかる仕事です。しかし、ある程度の形ができれば、日本のODA資金援助を呼び込むことができるでしょう。理想型は、言ってみれば、人的交流のある“顔の見えない国際貢献”です。その形ができるまでがんばりますよ」

前述の絵本『心をこめて地雷ではなく花をください』の裏表紙にはこう記されている。


「PEACE IS NOT ENOUGH」〜平和だけではダメ〜


とはいえ、そのために瀧谷先生のように個人で活動・奔走する人もいる。

「世の中、悲惨な話ばかり」で、終わらないことこそ、大切。



( 探偵ファイル・八坪 )


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