上之溝智警察官上之溝智の事件ファイル

Vol.01(2002年7月3日)

 最近のニュースによく「執念の捜査」「時効寸前に逮捕」などという記事を見かける。 13年前に佐賀県の北方町で発生した連続婦女暴行殺人=被害者3名=の犯人が逮捕されたニュースが6月13日のテレビに流れた。 まずは捜査本部の努力に敬意を表したい。

 このニュースを見て想い出す事件がある。 10年程前のことである。 事件はまさに時効寸前に犯人を逮捕したのであるが、この真の端緒は「D・N・A」による鑑定結果であった。 「D・N・A」といってもおおかたの人は知らない筈。 数々の資料を見ても素人には中々難しい。 比較的手頃な『日本語大辞典』(講談社)によれば、「D・N・A デオキシリボ核酸。遺伝子の本体。アデシン、チミン、グアニン、シトシンの4種類の塩基と糖と燐酸からなり、この塩基配列の中に遺伝子情報がかくされている。」とあるが、お判りいただけるだろうか。 しかし簡単に説明すると、指紋と同様に人のD・N・Aはそれぞれ異なるので個人識別の根拠として利用されている。 最近の鑑識実務の重要なポイントともなり、唾液・血液・精液などもこの検体として利用されている。

 事件は、東京東部区の繁華街で発生した。

 スナック経営のAさんが店の2階の寝室で刺殺されたのである。 犯人は1階スナック裏手の入口の窓を割り侵入し、2階で就寝中のAさんが物音に気付きもみ合いとなり、犯人はAさんを刺して逃走した。 この際、犯人はAさんの投げた硝子製灰皿を手に受けていた。

 現場に残された灰皿にはかすかに血痕が付着していたが、関係者や多くの容疑者のものとは附合しなかった。 Aさんは当時6千万円の生命保険がかけられ、受取人は妻B子だった。 Aさんは暴力団関係者との付合いも多く、スナック経営のかたわら金融関係の仕事もしており、なかなかの辣腕で取立ても厳しく、各方面の関係者に多額の金を貸しており、事件背景としては殺人の動機をもつ容疑者が多く捜査は難航したのである。

 多額の保険の受取人となっていることや、暴力団関係者との付合いが多いことなどから最重要容疑者とされたのは妻B子である。 B子への取調べも数十回に及んだが、確実なアリバイもあり、「事件には無関係です」と捜査への協力を拒みつづけた。 一方、多数の容疑者への"ツブシ"の捜査も金や怨みなどから、容疑は濃厚なものの確定的資料に欠け、いたずらに日時が過ぎるのみであった。

 また、現場から採取された遺留指紋も関係者指紋として落され、事件と犯人を結びつけるものはなかった。 関係者が大変に多く、その意味で難事件でもあった。 継続捜査が鋭意進められたものの決め手がないままに、年月は経過し、殺人事件の時効15年が近づいていた。

 こんな折も折のある夜半。 酔っ払いで保護されることの多い泥酔保護の常習者Bが所轄所にまたまた保護された。 朝方ともなり酔いも大分さめ、同房者の顔なじみCと酒と女の自慢話になった。 Bは、昔キャバレーやバーで散々遊んだ話や、当時のAさんのスナックで飲んだ話、そしてAの妻との話などに及んだ。 同房者もまた、事件現場の近くに住む犯罪暦をもつ不良。 十数年前のAさんの事件もよく知っていた。

 即刻、同房者はよく世話になる刑事にこの事実を告げたのである。 この事実を知った捜査本部では、まずはBの身辺関係を慎重に捜査した。 この結果、BばAやその妻ともかなり昵懇であり、Aから金を借りている。 そしてこの事件前夜に仲間の暴力団員甲やAの妻とよく遊んでいた事実が判明した。 そこでまず、Bと甲らの事件前夜の動きと、問題の灰皿の血痕との対照のためにD・N・A資料の採取に当たることとなった。 捜査は再スタートした。

 Bと甲を張込み、追尾し、苦心の末に両人の吸ったタバコを入手したのである。 D・N・A鑑定の結果。 甲の吸ったタバコの唾液と灰皿の血痕のD・N・Aが一致したのである 甲とBを厳しく取調べた結果、両人はAと交友関係にあり、金も借りていた。 結果はAの妻と共謀して保険金を詐取すべく、事件当夜、Aの妻のアリバイを作り、Bが見張役となり、甲がAを刺殺したというのである。

 事件後、かなりの日時を経て保険金が支払われた。 保険金は妻が3500万円、甲が1500万円、Bが1000万円と分配された。 甲とBはこの金のほとんどを競馬と女と酒にあてていた。 その後は定石どおりにAの妻を脅し続け、「事件をバラす」という切り札で、Aの妻からほとんど全額の金をむしり取っていた。 老子の言葉ではないが、「天網恢々疎にして漏らさず」の言葉どおり、神は事件を不思議な展開で解決してくれた。甲とBは酒と放埓な生活で既に廃人に近い状態になっていたのである。



上之溝 智

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