勝谷誠彦勝谷誠彦の毒!
Vol.5(2002年5月2日)
西川口と日本の良心

 皆様におかれましては、風薫るゴールデンウィークを楽しんでおられることと思います。 私もプチ旅行でとってもいいところに昨夜は泊まった。 西川口。 どんなに素敵かというと、午前中から駅前の立ち飲み屋でオッサンたちはクダをまいているは、夜ともなればガスボンベを手に持って吸いながらガキが歩き回っているは、ユダヤ人からイラン人までがガンとばしてくるは、もうとっても素敵。 ナイスなゴールデンウィークである。

 なんでこんなことになったかと言うと『小説non』で長年続けている「色街で呑む」という連載の締切りが切羽詰まっていたからだ。 この連載、文字通り日本、いや世界中の風俗街を私がウロウロするというもの。 おかげさまでディープなファンが多く、私の書くもののなかで一番好きだと言ってくださる人もいる。 自分でもまあ、好きかな。

 しかしこの連載、寸止めの案配がなかなか難しい。 くれぐれも言っておくが「色街でやる」ではないのである。 あくまでも「呑む」んだが、色街で行われているイロイロなことを読者は知りたい。 私としては突撃することにやぶさかではないのだが、そこはそれイロイロな意見を言う人もいて、今のところは自粛している。 かくして私の代理人として突っ込んでいくのが担当のS氏。 祥伝社の敏腕文芸編集者である。 中でナニが行われているかという描写が必要な時は、私が彼から聞いたことを使うわけである。

 いくら独身のS氏とはいえ、毎回突撃している模様を書いていては人権にもかかわる思って、私の筆は鈍りがちだったのだが、私のような半端モノ書きではなく本当の作家というのはそんなことに頓着していてはダメらしい。

 連載の中で、花村萬月さんと3人で沖縄に行った時のことである。 その模様はレポートとしては私が書いたのだが、数カ月して某社の小説雑誌を手にとったS氏から仰天した電話が入った。 なんとその雑誌の花村さんの小説の中で、私たちのことがすべて実名で記述されていたんですね。 もちろん私もだが、気の毒なのは本来まっとうなサラリーマンであるS氏である。 それ以来いくら私がS氏と書いても、あああれは○○さんかと誰もがわかってしまう。 まあ編集者というのは、作家のためにはたとえ火の中水の中というのが本領だろうから、S氏は編集者の鑑ということになるのだろう。

 それにしてもよくぞいろんなところに行ったものである。 逆に言うと、この国にはまだまだそれだけ新旧の色街が残っているのだ。 古いところは例えば大阪の飛田新地のように、昔ながらの遊廓がチョンの間としてまだ続いている。 新しいのは、それこそ西川口だ。 あるいは広島の福山、群馬の太田などどうしてこんなところに、という場所に色街が出現している。 ここで言う色街は、軟弱な「フーゾク」ではない。 昔ながらの、男と妓のガチンコがある所である。

 もちろん、日本国においては売春防止法があり、男女の交合を金で贖うのは禁じられている。 にもかかわらずいわゆる援助交際(なんという下品な言葉!)ならともかく、ハコを構えての売春行為が行われているという不思議。何しろソープだって中でナニが行われているかは暗黙の了解なのだから、売春防止法とは奇怪な法律だ。

 このフシギさこそが日本国であると最近私はしみじみと感じはじめている。 検察の調査活動費の流用から政治家の政策秘書給与のネコババまで、すべてはオモテとウラの使い分け。 むしろ、まっとうな勤め人よりも官僚警官政治家といった人々の方が、そういう二重の人生を送っていることが、ここにきてバレバレになってきている。

 上等な評論家の皆様におかれては、なんだかびっくりしたような顔をテレビでしてみせているが、私には意外でもなんでもない。 二十年前、風俗ライターとしてモノ書きの道に入った私は、ずっとこの国とはこんなモノなんだと思っていたので。 トルコ風呂の名前をトルコ共和国から抗議されればソープと言い換え、決して売春防止法ではつかまえることなく、せいぜい保健所の検査の名で恫喝しながら、じゃあお目溢しの金は誰の懐に入っているのかをね。

 牛や鶏の肉の中身と表示が違うなんてことで、今更驚いていちゃダメなのである。

 今回訪ねてた西川口はそういう意味でははなはだ良心的だったと、S氏の弁。 顔見せの写真とホンモノとが違ったりはしないらしい。 彼の獅子奮迅の体験も含めた記事は、次号の『小説non』で読んで下さい。

 根本でダブルスタンダードを認めながら、現場では良心的。 ヘンな国だけど、そのヘンさが国家としての存続すら危うくしつつあることを、私は昼間っから駅前の立ち呑み屋で焼酎をあおりつつ考えたのであった。


勝谷誠彦 【筆者近影】


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