道了堂跡

道了堂(曹洞宗 大塚山)は、明治8年に八王子と鑓水(やりみず)の豪商によって建てられた 永泉寺の別院である。生糸商人を中心に、鑓水地方の信仰の拠点として賑わっていた。






しかし、昭和38年お堂を守っていた老婆が、堂内で精神異常者にメッタ刺しにされ惨殺されるという事件が起き、このころから老婆の啜り泣く声が聞こえる等の心霊現象が噂され始めた。
昭和48年には立教大学の教授が愛人関係にあった教え子の女子大生を殺害し、堂の近くに遺棄するという事件が起きた。 事件当時、遺体が発見される前から、堂の周辺で女子大生の姿が度々目撃され、あまりに多い目撃証言から警察が付近を捜索したところ、遺体が発見された。
この事件が大きな話題となり、道了堂は都内屈指の心霊スポットとして、連夜興味本位の若者やマスコミがつめかけ、いつしか荒れ果てた廃墟と化してしまった。
昭和60年、同地を含めた周辺を公園とする為、取り壊され、今では石台や灯篭跡、地蔵などが僅かに残るのみとなっている。



またこの跡地に残されている「首なし地蔵」は、この地蔵は堂の取り壊し以前に心霊見物に訪れた心無い若者によって、壊されたと伝えられている。その若者が白い車に乗っていた為、白の車で現地を訪れると祟りがあるとか、地蔵を壊した若者が祟りで死んだなどの噂は多くあるが、真意の程は定かではない。 しかし、過去の史実、多くの心霊目撃証言などから、明らかに怨霊が宿る地である事は間違いない。