旧国立予防衛生研究所跡



同研究所跡地は山手線目黒駅の北東にあり、駅から歩いて5分ほどだ。

同研究所には終戦間際に関東軍第七三一部隊(石井部隊)が配置され、細菌化学兵器の軍需工場であった等の数々の噂がある。この噂はテレビ放映もされ大々的に取り扱われた。

しかし、我々が近隣住民に聞き込みによる調査を行ったところ新たな事実を聞くことができた。同地は戦前、戦中海軍大学が置かれ若い兵士を育成する場であった。その後日本国はアメリカに敗れ終戦を迎えるわけだが、この時この地は戦争の被害を受けておらずオーストラリア軍の進駐兵により占有された。

その1、2年後、同軍が引き上げ、国立予防衛生研究所として生まれ変わり今から10年ほど前に閉鎖されるまで使用された。

閉鎖後、同地は競売にかけられ現在、マンションが建設されている。

同所の向かいには墓地があるが、同所とは関係ない。真言宗の寺院「高福院」が江戸時代から所有している地とのことである。