首切り地蔵と呪われた松ノ木


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宇都宮市内大通りを宮の橋から北上、白沢街道を直進すると街道沿いに松ノ木がある。そのそばのT銀行裏にあるのが、有名な首切地蔵だ。

堂内には、赤いずきんやちゃんちゃんこを着せられた、石の地蔵尊が鎮座している。台座には享保八年(1723)の年記があり、これが地元で有名な「竹林の首切地蔵」である。

 

江戸時代初期〜中期にかけて、このあたりは宇都宮藩の刑場だった。藩主の使役に反抗した罪人たちが処罰されたのだ。

罪人達は永い牢内の責苦と死の恐怖に怯えながら、拷問・処刑された罪人の数はおよそ100人。彼らは根来(ネコロ)衆と呼ばれていたため、その死骸を埋めたというこの近辺は「ネコロ塚」と名づけられていた。

戦後、この地が掘り起こされたことがあり、その際におよそ100体の胴体・首が見つかったという。首切り地蔵の名前はこのバラバラにされた白骨に由来したものらしい。

その罪人達の怨念によるものかどうかは解らないが、この場所(白沢街道)では、死亡事故が多発している。しかも、理由がわからない不可思議なものが多い。原因不明の火事やボヤ騒動も後を絶たない、イワクつきの場所なのである。

昔、このあたりには巨大な松ノ木があって、「血染めの松」とも言われていたという。凄惨な処刑の後、流された血や死体を養分に育ったのでは……と想像してしまう。ただし現在、街道沿いに植えられている松ノ木が、当時の松ノ木なのかどうかは定かではない。

 

このあたりに、現実では考えにくい不可解な現象や奇妙なものを見るといった話が数多いのはなぜだろうか? もしかしたら、このあたりには、私達には想像もつかない断末魔の怨念が去来しているのかもしれない。

処刑された者達の怨念が強く深く残っているのであれば、刑場の一遇で刑死者を眺めて来た地蔵尊を拝し、この地にまつわる暗く悲しい歴史を偲んでみる事も、時には必要ではなかろうか。

皆様、お通りの際には、お気を付けて……。