首洗い井戸


FC 大阪西


(1日目)
(やはり霊がでるという噂は本当らしく、何人も見たという人がいるらしい・・・)
午後11時40分 情報提供者も同行していただける事になりA氏(+愛犬)と共に某神社内首洗い井戸へ向かう。
首洗い井戸へは山道を通り梅林の中にあるらしく、3人(+1匹)で山道を歩く。
時間にして30秒ぐらいの上り道だが、その時はすごく長い道のりだったような気がした。

 

午後11時50分 梅林の中に入るやいなや、愛犬が‘ワンワン’とひっきり無しに吠えまくり、周りを見渡すが人の気配はない・・。
いつもはおとなしい犬なので、A氏が叱るがいっこうに吠えやまない。これが動物的勘なのであろうか・・・・・。
午後12時00分 某神社内首洗いの井戸に到着。
井戸を見ると木のふたでふさがれ、ひもで縛られている。
井戸を撮影するが三枚のみ現像成功。
午後12時10分 A氏が背筋の寒気などを訴え、体調不良の為本日の調査を終了する。

クリックすると拡大画像が見られます。


(2日目)
午前10時00分 某神社、神主さんに話を聞きにいく。
神主さんの話では、はるか昔に時はさかのぼり、南北朝時代。楠木正成の長子、武将・ 楠木正行(まさつら)が父楠公の遺志を継いで足利氏に対抗し本陣を構えたが、足利尊氏との戦いで敗北し、首を切られてこの井戸で首を洗われたらしい。この話には、有力な2つの説があり、1つは同じ東大阪市にある**院で、楠木正行(まさつら)が足利尊氏とその場所で戦っているが、小楠公(楠木正行)ひきいる南朝軍は正平3年(1348年)1月、北朝方の高師直(こうのもろなお)軍との激戦の末に敗れ、**院は戦火で焼失。
楠木正行も弟の正時(まさとき)と共に戦死。その後、**院は江戸時代に再興され現在に至る説が1つ目。 2つ目は、四条畷市にある***神社に楠木正行が足利方と戦い敗れ、自刃した説(その神社に楠木正行の墓がある)。

いずれの説が本当なのかというのは、はっきりしないが、四条畷の戦いというだけあって2つ目の方が有力ではないだろうかといわれているが、1つ目のほうの**院の場所も昔は縄手村四条と呼ばれていたらしくどちらというのは難しいところである。
が、私が1番疑問に思ったところは、調べてもこの2つの説の情報しかなく今回調べた首あらい井戸の説が載っていないところである。だが私が見に行った井戸には、確実に楠木正行公と書いてあった(写真撮影済み)。調べても載っていないのはなぜなのだろうか?なぞは深まるばかりだ・・・・・。