白高大神


FC 奈良橿原

本件調査に関して、奈良県内の心霊スポットを抽出すべく側面調査を実施したところ、かつて奈良テレビで社会部記者として活躍していた植田庄平氏より、『奈良市内に心霊現象に詳しいイクヒロという16歳の少年がいる』との聞込みを得たものである。よって、当該少年を割り出すべく、近鉄奈良駅周辺において聞込み調査を実施したところ、奈良大学付属高校生Aより、イクヒロという少年について、「奈良の旧市内に住む道上育弘(16歳)の事ではないか。」との情報を入手した。

この情報を基にさらに聞込み調査を継続したところ、同少年が、よく屯する奈良市大安寺町所在のビリヤード場を割出すに至ったものである。上記のビリヤード場に赴いて調査を実施した結果、当該少年と接触する事ができ、同人の人定が、
住所:奈良市富雄中町/道上育弘(16歳)
であることが確認されたものである。

同所において、道上育弘少年に対して心霊体験について聴取したところ、『僕は、友達と一緒にいろんな怖いところへ行った事がある。廃墟になった病院や心霊現象がでるという神社や寺へも何度も行ったことがある。』と前置きした後、中でも一番恐ろしいかったのが、富雄にある神社で、そこは(境内の)奥が防空壕になっていて、そこへ連れて行った女の子が霊に取り付かれて、おかしくなってしまった。「霊を下ろしにどこかの神社へ行ったとは聞いたけど、その後、行方が分からなくなってしまった。その友達が心配して家へ行ったけど、母親が『うちの子には構わないで。家には居ませんから…。』と門前払いされてしまった。その子が何処に行ってしまったのかは全く判らないんです…」との証言を得るに至ったものである。

心霊スポットの現場確認
(1)現場付近の状況
当支社代表工藤慎二他3名の調査員は、本年9月27日、心霊スポットに精通し、本年6月には『心霊に獲りつかれた少女を目撃した』という道上少年に現場案内を求めて、当該心霊スポットの現場確認調査を実施したものである。 同日午後6時55分道上少年は、調査員を奈良市丸山2丁目1220番地に所在する奈良交通バス「若草台バス停」まで案内し、『ここからは車では行けないので歩きましょう』と申し立てた。 その付近は、奈良市の東南に位置し、JR奈良駅の東方約40キロ、近鉄学園前駅の南方約25キロの場所である。 現場の東側は、昭和62年頃に造成された昼夜とも交通量の極めて少ない閑静な新興住宅地(通称若草台)となっている。

現場付近の南側は、山裾に広がった田園地帯となっており、低い山に囲まれた数キロ四方の平地に田圃が広がっている。 付近に人家の灯りを認めることはなく、また付近を通る人も皆無である。 現場の西側付近は山林になっており、一面に雑木林が視界を遮っている。この雑木林の西方約4キロの地点には、奈良県北部では有名な追分梅林があるが、青梅の収穫時期の春先を除いて、梅林を訪れる人は殆どないと聞かれた。     現場付近の北側には、若草台の住宅地を隔てて第二阪奈道路が東西に通じている。現場付近から北に約2.5キロの地点には第二阪奈道路「中町インターチェンジ」がある。

(2)心霊スポットへのルート 当日の天候は、曇りであり、空全体には厚い雲が低く立ち込めていた。その低く立ち込めた雲全体を月の光が照らし空全体に覆い被さった雲は、弱い光を浴びたスクリーンのようにぼんやりとした光を地上に発していた。 そのせいで現場付近は、懐中電灯を照らさずしても歩行が可能な状況であった。 バス停付近に車両を置き、少年を先頭に現場へと向かったものである。 バス停の南側は雑木林となっており、古びたガードレールには、手書きで書かれた「追分梅林」への錆びれた案内板が掲げられていた。

その案内板に従い、道幅2メートル足らずの地道を北方に進むと、約30メートルで三叉路があり、このとき少年は、『ここを(左に)曲がります』と言い更に進んだ。 三叉路を曲がるとそこは雑木林の中であり、頭上には様々な針葉樹が覆い被さると同時に雲のスクリーンからの光を遮り、足元を懐中電灯で照らす事となる。そして山道の路面に埋もれた石や廃木の根が、さらに歩行を妨げた。 雑木林を抜けるとそこには低い山の裾一杯に広がった田圃が視界に飛び込んだ。と同時に頭上に再びスクリーンが広がり、その灯りが数キロ前方の山を浮かび上がらせた。 少年は、田圃の中のあぜ道を南にゆっくりした歩調で歩き、右斜め前方(南東方向)を指差して『あの辺の山の中だったと思う』と説明した。

我々も少年に続き、その指差す方向へと向かったが、誰一人として無駄口を利くものはなかった。 あぜ道は、その途中で西方に向き、さらに約0.8キロ進んだところ、進行方向左手に山道の入口に立てられた石製の鳥居を発見した。 少年は、鳥居の前で立ち止まり『この奥に防空壕みたいな神社がある』と呟き、無言の中に我々がこの奥に進むかどうかの意思確認をしているようであった。

その鳥居を確認したところ、「白高大神」と神社の名称が記されていた。 調査員一行は、少年を先頭に鳥居をくぐり、僅かに人間一人が通れる道幅の山道に足を踏み入れた。山道は、小さなカーブの連続で、緩やかな登り、急な登りを繰り返し山の奥へと進んで行った。 一番目の鳥居から約100メートル進むと赤褐色に塗られた鉄製の鳥居を発見した。その鳥居の表面は錆がこびりつき、もともと朱色であったであろう鳥居の色を赤褐色に変えていた。 鳥居には、「古女郎大神・白龍大神」の古びた名札が掲げられていた。鳥居の左手には雑木林に囲まれた小さな池があるが、その池の水は深緑色となっておりその深さを伺わせた。少年は、足を止めることなく更に山道を登り続けた。 細い山道にはいくつかの鳥居があり、その一つ一つをくぐり山道を登り続けたところ、その道中には、かつて宮司が住んでいたのであろうか、廃墟となった人家が現れた。その人家の玄関引き戸には、しめ縄だけがしっかりと掲げられたまま になっていた。さらに道幅が狭まり、道が直角に右に折れているところを曲がると前方の暗闇の中に小さな石で作られた鳥居を発見した。そしてその鳥居の奥には人一人が立って入れないくらいの洞窟のようなものが確認できた。さらにその洞窟様の場所に近づくとそこは行き止まりになっており、その左手には、三つの石碑が建てられその前には陶器でつくられた小さい狐の人形が一組向かい合わせに置かれていた。洞窟の周辺は、空が見えないくらい程、雑木林に覆われて おり、昼間でも日差しが届きにくいような状況下にあった。洞窟の右手は、切り立った崖になっており、その下は小さ な池になっていた。

その池の上方約30メートルのところには、一本の水路が突き出ており、その水路からは、途切れることなく水が流れ落ち、滝の様を呈していた。 その滝は、空中に聳え立つ一本の水の柱となっており、崖 を流れ落ちる通常の滝とは違い一種の神秘性を感じさせていた。 さらに同所付近は、覆い被さった樹木や滝の影響で、言い ようのない冷気が漂っていたものである。 周辺を見分した後、洞窟の確認調査を行ったところ、当該 洞窟の出入り口部は、幅1.9メートル、高さ1.4メートルあり、その奥は、目測10メートルの深さを認めた。 洞窟の壁面は、幅約1センチで横方向に削岩されたような 痕跡が一面に刻まれており、明らかに人の手によって作られたものであると判断された。 洞窟の入口外側には高さ2メートルの石製の鳥居が設置さ れているが、この鳥居の高さは洞窟に合わせて低く作られたものと思われた。 洞窟の出入り口には、錆びれた両開きの鉄製の柵が設置さ れているが、蝶番部分が破損しかろうじてぶら下がっている状態が、さらに恐怖感を増す要因となっていた。 洞窟に入るとすぐ、天井部に取り付けられた鉄柵があり、 その中央部に『鎮魂』の文字をかたどったプレート様のものが吊り下げられていた。 さらに奥を見分したところ、石製の賽銭箱が置かれ、その 奥には、高さ約40センチの狛犬が一組向かい合わせに置かれていた。 その奥は、昼間でも真っ暗な状態で、その状態が目視出来 なかったことから懐中電灯の光により確認したところ、洞窟の奥行きは、約8メートルと認められた。

3.心霊現象に関する聞込み
本件調査において確認できた心霊スポットにおいて発生した心霊現象について、道上少年から詳細に聴取したところ、次の通りであった。

その状況については、少年の言葉を出来る限り再現して記すこととした。去年の暮れくらいから、友達と一緒に肝試しのつもりで色々な怖い噂があるところへ行ってました。 そのうち一番恐ろしかったのが、この洞窟でした。 6月のある日の晩(午後9時過ぎ頃)にある友達Aが、『富雄の洞窟行ってみいひんか?』と言い出しました。僕は、富雄の洞窟について他の友達から、『防空壕みたいになってる神社が富雄にあって、夜中いったらめっちゃ怖いでえ』ということを聞いた事があったことから、一度行ってみたいと思っていたんで、さっそく話がまとまり男友達4人と女友達1人の5人で単車3台に乗って行きました。 洞窟の神社に行くまでは何という事もなく特にこわいことなんかありませんでした。僕らが洞窟の中に入り出てきたときの事です。連れてきた女の子(16歳)が洞窟の前の鳥居の下でうずくまって、何かぶつぶつ言っていたんです。「こいつ何を言うとんのやろ」と思って注意して聞いてみると、その女の子は今まで聴いたことのないような方言(九州弁みたいな感じ)で、おばちゃん言葉でぶつぶつ言っていたんです。 その子は、それまでも霊を感じる子で、今までも『兵隊さんが横に居る…』とかわけのわからない事を口走っていた子なんで特別気にもしませんでした。 でも、いざ帰ろうと思ってその子に声を掛けても、何も聞こえない様子で、九州弁みたいなおばちゃん言葉でぶつぶつ言い続けていたんです。 その子は立ち上がろうともしなかったので、『はよ、行くぞ』などと何度言っても聞かなかったんです。 そのとき、ふとその女の子の顔を見たとたん僕は、ギョッとしたんです。その女の子の顔は、まったく変わってしまっていて、まるで何かに獲りつかれたようでした。両目の目じりは極端に吊り上り、目は細くなっていてまるで狐の目のようでした。細く半開きになった口からはよだれが、ダッと垂れ流していて、そんな顔で下から斜めに僕の方を見上げたんです。 そのときもおばちゃん言葉で、何か言ったのですが、あまりの恐ろしさで何と言ったのかは覚えていませんでした。その時、一緒に来ていた友人Bが、『こいつあかん。早連れて変えろ』と叫んだのです。

僕達は何をどうしたのかはよく覚えてないんですが、とにかく女の子を引っ張って、走って逃げたのです。 そして、最後の鳥居を抜けたときにホッとして足を止めたんです。同時に抱えていた女の子の手を離したんです。 すると女の子は、『行かんと…。行かんと…』と言いながら洞窟のほうに行こうとして聞かないんです。 僕達は、あわてて単車のところまで女の子を連れて行き、Bの単車の後部座席に乗せようとしたんです。来るときその女の子はスカートを穿いていたんですが、座席にまたがるようにして座ってきたんです。勿論いつもそうなんですが。ところが単車(50CC)に乗せようとしても、わけのわからないことを言いながら洞窟のほうへ行こうして、聞きませんでした。10分位して少し落ち着いたのか単車の後部座席に座ったんです…。 でも、その子はいつものように単車にまたがるんじゃなく、単車の座席に横向きに座り、両足をぴったりくっつけて座ったんです。昔の女の人が座るみたいにです。僕はこれを見て『何かに獲りつかれている。』とはっきり判りました。とにかく僕達は早くその場を離れようと女の子が単車に乗って直ぐに走り出し、女の子の家の近くの古市町(奈良市南部の小さな集落)までたどり着いたのです。

僕は、少し怖くなって父親に電話をしてその事を話したんです。父親は車で古市まで走ってきて、その女の子に声を掛けたのです。父がその子に『大丈夫か?』と声を掛けた直後、その子が父を斜め下から見上げたんです。そのとき父が大声で叫びました。『こいつあかんで』その声は、驚きか恐怖で引きつってました。 父が見た顔は、僕が見たときと同じ顔でした。父は、『お前ら、何をしとったんや』と怒り出したので、事情を説明したところ父は、『狐につかれたんちゃうか』と言い出し、家に連れて帰るように僕らに言いました。 でもその時、女の子の女友達が二人ほど来ていて、その子達が、家につれて帰ることになり、僕は他の友達と一緒に自分の家に帰ったんです。 暫くたってから、男友達のAにその女の子がその後どうなったのか尋ねたんです。その時、Aから『あれから、何処かの寺か神社に除霊に行ったらしい。その時、お寺の人に 『よう死なんかったなぁ』 と言われたらしい。でもその後、あの子は何処へ行ったのか誰も知らない』と聞きました。

それで心配になってその子の家に行ったのです。やはり家には居ない様子で仕方なく、その子のお母さんに尋ねたら、お母さんは僕らの顔を見るなり『何しにきたん。内の子はもう家には居ません。帰って。』と怒り出したのです。実際、その女の子と親しい女友達に聞いても行方は分からず心配していたのです。もし、その子が見つかれば、そのときの様子がもっと詳しくわかると思います。と説明した。

    この説明を受け、この神社において何らかの心霊現象が起こった事が確認された。よって、当該神社に関しての調査を開始したものである。

4. 神社に関する判明事項
本件、心霊スポットの所在地は、奈良市大和田町 (滝寺池西方)であり、現在は管理者もなく廃墟となっている。同所は、昭和50年頃までは、宗教法人 玉姫教会という名称で運営されており、その管理者が「中井シグ」なる人物であったと聞かれた。近隣において聞込み調査を実施したところ、当該寺は、通称「滝寺」と呼ばれていたが、正式名称は、神理教 瀧川 であったことが判明した。現在の廃墟の形態から見ると同所は、神社の形態をとっているように伺える。その点について確認したところ、これは廃仏毀釈により、寺社が一体となって居た当時の名残ではないかと聞かれた。 第二次世界大戦後の昭和20年代には、寺社としての活動は見られず、近隣の住民の参拝もなかったと聞かれた。その理由として、戦後は、地元民でない男女が何処からともなく集まって来て新興宗教として活動していた事により近隣住民から敬遠されていた旨のことが聞かれた。京約40年前に寺をたたんだ後、誰も引き継ぐことなく廃墟となっていると聞かれた。

その当時、同寺には夫婦らしき人物が住まいしていたが、二人のうちどちらかが亡くなった事で寺をたたんで出て行った旨聞かれた。 同寺の一番目にある鳥居には「宗教法人玉姫教会」について調査したものであるが、戦後の新興宗教であり、その本拠を大阪市内に持っていたことが判明した。しかし、昭和50年代に教理を降ろして活動を停止している状況にあり、その実態を解明する事が出来なかった。

5. 調査所見
本件調査により、心霊スポットとして『瀧寺』を抽出したものである。 当該神社における心霊現象として、本年6月に16歳の少女に悪霊が獲りつき、その少女の身体並びに精神状態に異常が起こった事実が確認できた。同少女はその後、除霊をして正常に戻ったとの風評はあるが、現調査段階でその少女の所在が判明せず、未だ事情聴取するに至っていない。 本件、心霊現象を更に明らかし裏付けるには、上記少女の行方を確認し詳細な体験談を聴取する必要があると判断される。