長崎県怨霊調査 |
![]() 突くと呪われるといわれる鐘 ■ 平和公園 ■ 長崎市松山町 昭和20年8月9日午前11時2分、アメリカ軍用機B29により、長崎市三菱長崎兵器製作所上空から、 史上2番目の原子爆弾が投下された。死者は7万4千人にも上った。 この公園は、昭和26年3月31日、世界恒久平和を願って爆心地に建設された。 公園のシンボルである平和記念像は、世界恒久平和の実現の訴えと、悲惨苦を再現してはならないという念願により、 昭和30年8月に造られた。像の両脇にある「祈鶴の塔」にはたくさんの千羽鶴が吊るされている。 すぐ近くには、 浦上川という大きな川があり、原爆投下後、焼け爛れた何千もの人々がこの川に飛び込んだという。「喉が渇いた」ともがき、油や血が浮いたこの川の水を飲んだと聞く。なんとも悲惨な光景だ。 毎年、原爆投下日が訪れると、この川の縁に被爆者の霊が集まるという。 彼らを供養する為に、鐘楼流しが行われ、平和公園でも、被爆者の霊を供養する為に、毎年8月9日に式典が行われている。 近隣の民家、 商店へ聞き込みを行ったが霊に関する話は聞くことが出来なかった。 これは長崎県、いや、全日本国民上げて世界平和の願いと戦没者への供養が行われているためだろう。 ![]() 平和記念像が犠牲者たちを見守る ■ つがねの滝 ■ 長崎県西彼杵半島 長崎市より北方へ、車で一時間弱。この滝は、大瀬戸町と外海町に挟まれたように位置している。この滝は自殺の名所だ。 滝は山頂にあるため、車は麓の駐車場に停めた。 けもの道を10分ほど歩くと、4人の家族連れとすれ違った。走っている。すれ違う時、彼らが口々に 「恐い」「出たよ」「二度と行きたくない」と言うのが耳に入った。本当か? 聞き返そうとしたが、彼らはあっという間に道を下ってしまった。取り残された私たちは先へ進む事を躊躇する。 ずいぶん歩いて、ようやく「つがねの滝 入り口」と表示してある看板が見えた。看板の真下に洞窟がある。どうやら、この洞窟を抜けると滝に出るらしい。 洞窟内は薄暗く、じめじめしている。壁はでこぼことして、気味が悪い。恐々と洞窟を抜けると、ようやく滝が見えた。 勢いよく流れ落ちる水は透き通っていた。木々の間からは光が差し込み、本当にこの滝の頂上から自殺をする者がいるのであろうか、と思うほど美しく幻想的だ。ただし、私たち以外に人の気配が全くない。流れ落ちる水の音だけが辺りに響き、恐い。 撮影を終え引き返した。別に幽霊が滝壷に立っているということもなく、ちょっと拍子抜けだった。 だが。 洞窟を抜ける直前、調査員の1人が騒ぎ出した。「ううー」といううめき声のようなものが聞こえたのだという。 気がつけば私たちは走って山道を下っていた。それはまさしく、行きに出会った家族連れの行動と同じであった。 地元住民はこの滝の水を水道水としている為、この滝に関して良い事しか言わない。しかし、昼間でさえこれである。もし深夜に訪れていたら、と思うと今でも総毛立つのだ。 ![]() 自殺の名所「つがねの滝」 ■ 原城跡 ■ 南高来郡南有馬町 寛永十四年十月、天草四郎時貞を盟主として起こった「島原の乱」は有名だろう。この城跡は、 領民三万七千人が八十八日間も立て篭もり、やがて殺される事となった島原の乱終焉の地であった。 駐車場から舗装のしていない坂を上がるとすぐに城跡だ。1分ほどしかかからない。数体の地蔵と墓、お経を記した木管まである。いまだ死者の霊を供養しているのだ。 左手の隅に何かがあった。厳重にロープで囲まれている。ロープの内側を覗くと、ごつごつとした岩が積み重なっており、草が伸びていた。 脇にある説明書きには、「石を取り除けば、天草の乱での死者の遺骨が出てきます」とあった。 とても大きな石であるため持ち上げる事はできず、引きずるように少し動かしたところ、何か白い物が見えた。 犬の死骸である。人骨ではなかったが、何故こんな場所に犬の死骸? 地元住民にこの城跡で霊を見た人は居らず、調査に赴いたときも怪現象は起こらなかったが、かなり不気味な場所である。 ![]() 死者の霊を弔う地蔵菩薩 ポルトガル人の宣教師フランシスコ・ザビエルが、キリスト教伝来のために長崎県出島にやって来たのは1549年のこと。そのため、当時の長崎県民には キリシタンが多い。 洗礼名「まだれいな」(本名不明)もその1人だ。 彼女の墓は長崎県の指定史跡になっているが、生前の彼女が特別に何かをしたわけではない。残された墓が歴史的に重要なのである。キリシタンの墓は江戸幕府によりほとんど壊されたが、偶然にも彼女の墓は残った。しかも、当時のキリシタンの墓は「かまぼこ型」 という形が多いが、彼女の墓はてっぺんが尖っているのだ。 「まだれいな」という名前が平仮名で書かれているのも、大変珍しい。 彼女の墓が壊されなかったのは、熱心なキリスト教信者であった彼女の強い怨念によってとも言われている。詳しい事は分かっていない。 「まだれいな」の墓がある墓地は、島原市の中央に位置している。田んぼと畑が連なる中に、小さな墓地がぽつんとある。 墓地に足を踏み入れると、9体の地蔵が並べられているのが目に入った。そのうち、右側三体は首がない。私達はおそるおそる地蔵の前を通った。その時、調査員のほとんどが寒気と凍るような視線を感じたという。 彼女の墓は墓地の中央にある。男性調査員の1人が彼女の墓に入り、別の調査員に写真を撮らせた。撮影が終了し車に戻った。ところが彼女の墓に入った調査員が、 突然腹を押さえ苦しみ出した。近くの民家にトイレを借りる始末である。 10分後、げっそりして家を出てきた。ひどい下痢で、 腹の痛みが止まらないという。これが、「まだれいな」の怨霊であるかどうかは……不明である。 ![]() 今なお残る墓は彼女の怨念の証なのか・・・ |