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長野の善光寺から戸隠神社に向かう峠道(戸隠バードライン)の途中に「七曲り」と名の付く地点がある。その名の通り、急カーブが7回続いている。地図を見ると良くわかるのだが、なだらかな道の途中で、七つの急カーブが立て続けに続くのである。
「戸隠神社」に向かう道となっているせいか、この峠道を通ると霊的なものの気配を感じる者も多いらしい。
この道を進んでいくと、突然スノーシェルターの掛かった舗装道路の真ん中に、一本の松の木がシェルターを突き抜け天に向かって伸びているのが見てとれる。
その道路は、この松の木を境に上りと下りの車線に別れている。だが、なぜこんなところに松の木が? しかも一本だけ・・・。通行の妨げであるはずの樹木が伐採されずに残っているのは何か理由があるのだろうか?
この峠道は昭和9年に道路工事が行われた。その際この『一本松』が邪魔になった為、伐採する事になった。しかし、伐採の数日前に現場の労働者数人が相次いで事故にあったり、病気になったりで、道路工事は一時中断してしまった。工事関係者の間では、「松の木の祟りだ」との噂が流れ始めた。
近くに住む住人からは「この辺りは、昔はたくさんの松の木が生えていたが、みんな伐採されたり、土砂崩れで倒れてしまった。しかし、なぜかこの『一本松』だけは倒れずに残っている」との話も。
いつの頃からか、この『一本松』は戦国の時代に、戦で死んでいった者達の霊が宿っている、と囁かれるようになった。実際、この木の下で鎧兜を身につけた血まみれの男の霊を見た者もいるとの事。
結局、この一本松は、住民からの強い反対もあり、伐採される事無く現在のような形で残される事となった。
「七曲り」付近の土手には、祟りを鎮める為か、石仏が点在しているが、それがより一層の不気味さを感じさせる。
また、この峠道を登っていくと、右手に「大峰城」という城跡がある。この城の周辺は、歴史的に広く知られる、上杉・武田の「川中島の合戦」で戦の場となった処らしい。この戦で死んでいった者達の無念の思いが、この『一本松』に宿り、祟りという形で私達に現在もなお、その思いを訴えかけているのであろうか。


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