雄別炭鉱


道東で最も有名な心霊スポットで、霊的現象が多数目撃されている。

【 噂 】
・ 胆試しで、同所病院跡に向かう途中、車のボディーをドンドンと叩く音を聞き、町に戻ったときボディーの屋根には無数の手形があった。

・ 胆試し帰り、少女の霊が車の直前に現れふっと消えた事にパニックを起こし、国道付近で大事故を起こした、幸い一命を取り留める。車内にいた全員が少女の後ろ姿を見たと断言。

・ 以前一人の女性が病院跡に取り残され、次の日迎えに行くと髪の毛が真っ白になり精神的におかしくなる、現在は精神病院に入院中である。

噂は、人魂・不思議な光・男性・女性・子供・炭鉱夫など様々な人の霊が現れるなど、数え出したらきりがない。

霊感の強い人は気絶したり、霊に取り付かれることもあり霊感のない人でも、めまいや寒気を感じたり、頭痛に襲われることも珍しくない。

【 歴史 】
大正12年、雄別鉄道の開通以来、炭鉱で働く人々が増加し以後昭和45年の閉山まで、およそ50年間にわたり創業。
石炭景気に沸いた時代、朝鮮人労働・タコ労働、ガス爆発や水害など暗い出来事も多数あった。
エネルギーの石炭から石油・電力への転換といった時代の流れにより、最盛期2万人の人口が、閉山翌年には8千人に減少。

【潜入調査】
30年前の閉山から、山の中腹にあるため人々の出入りはなく、残された建物は廃墟となっている。
同地で携帯電話の電波状況を調べるも圏外である。

『 スタンド 』
阿寒町から道道222号線を15?程行くと、ガソリンスタンド跡がある。


当時の面影を残す物品はなく、壁には多数の落書きがある。
さらに進むと、雄別鉱山の石碑がある。
砂利道を進むと煙突、劇場跡の建物が見受けられる。


『 煙突 』
炭鉱の象徴は現在も残っている。

『 劇場跡 』
巨大なホールになっており、棚や机、椅子などの物はなく。花火の跡や花火のゴミは所々に見られる。
2階部分は、狭く天井も低い屋根裏といった感じの所で床の状態が非常に悪く、所々に穴が開いている。


上の写真の場所で宜〇愛子が、霊がいると発言。

『 病院跡 』
炭鉱閉鎖が決定した昭和45年2月の北海道新聞の記事に、青年医師が契約期間前に引き上げた為、入院患者を全員移送というものがあった。
玄関を入ると、右手受付カウンターに線香、千羽鶴やタバコなどがお供えされている。
正面奥は螺旋の傾斜があり車椅子用と思われる。
螺旋は地下にも続いているが水没しており、奥をうかがうことは出来ない。


一階奥には別棟に続く通路がある。
情報によるとここが手術室と思われる。


部屋の中は瓦礫のみで、医療器具などは見受けられない。
2階へ上がると各部屋は病室のようでほぼ同じ造りになっている。
更に螺旋を上がると屋上に上がる事が出来る。
同所に於いて、病院に関する物品はなく、最近放置されたとみられるペットボトル、空き缶、落書き用のスプレーが散乱している。

『 洋館跡 』
職員クラブがあったとされる所である。
建物の老化は激しく、半分以上は潰れて崩れ落ちている。
床は変形しており、一階には便所、風呂場がなんとか確認できる。
玄関付近に暖炉の置かれた部屋がある。


2階部分は殆どが崩れ落ちていて、廊下しか残されていない。


『 炭鉱坑口 』
形が残されている坑口もある。奥には瓦礫以外のものは確認できず。


【 調査所見 】
阿寒町の役場や交番、付近住民に聞き込むが、閉山後の事件事故といった事は聞かれず。
同地に取り残され、精神病院に送られた女性については事実を確証することは出来なかった。
しかし雄別炭鉱の歴史を辿ると、戦時中は石炭の需要が増え、様々な者が過酷な労働を課されていて、炭鉱に於いての事件事故は多かったという。
推測に過ぎないが、無念さを残し、亡くなられた方々の怨念が現在も存在していても不思議ではない。
調査員が現場を見て感じた事だが、遊び半分でこの地を訪れ、怖さによりパニックを起こして、冷静にまわりを見れなくなり「何かを見た」と、勝手に解釈してしまった事も考えられる。
今回の調査で心霊・怪奇現象に遭遇する事は無かったが、炭鉱跡は巨大なエリアで、先入観の有無に関係なく雰囲気は不気味であり、人里離れている点が恐怖心を更にあおっている。
歴史的なことも考慮すると、有名な心霊スポットというのも頷ける。

【 余談 】
調査員が煙突の撮影を終え、帰ろうとした時、病院跡から「 きゃぁー 」と、女性の叫び声が聞こえた。とてもリアルに聞こえた為、そのときは他の胆試しの連中かと思ったが、帰り道の途中で工事中のガードマンがいたので、気になって尋ねて見ると「あなたが通ってから誰も通っていない」との回答が。
確かに聞こえたあの声はいったい何だったのか、未だに不明。