●更新日 04/09●


冷凍ミイラ「アイスマン」の呪いとは!?


1922年11月4日、エジプトのルクソール西岸にある「王家の谷」でハワード・カーター率いる考古学調査隊により発見された、古代エジプト第18王朝のファラオ、ツタンカーメンの墓。盗掘の跡もないこの墓は、20世紀最大の考古学的発見のひとつということで大きなニュースとなったのだが、その発見後には、調査隊内で死亡者が相次いだことでも有名である。ツタンカーメンの墓の入り口にあった碑文には「偉大なるファラオの墓に触れたものに、死はその素早き翼を持って飛びかかるであろう」と記されていたことから、相次ぐ調査隊員の死は、ツタンカーメンの呪いだと噂された。

ミイラに近づくものには死の呪いが振りかかる、という伝説を一般的なものにした、このツタンカーメンの呪いだが、実はメディアによるデッチ上げだったという説がある。この呪いで最初に死亡したとされているイギリスのカーナボン卿は、当時ロンドンタイムス紙と独占契約を結んでいた。その為、それ以外のマスコミには、ツタンカーメンの墓について一切情報を流さなかったという。それを恨んだ世界中のメディアがカーナボン卿を怨み、彼の死亡原因を「ファラオの呪いである」と報じたのではないかと言われている。ちなみにカーナボン卿の死因は、熱病及び肺炎の併発だったことが判明している。

だが、このツタンカーメンの呪いと同様の現象が、1991年にも起こっている。この年の9月19日、イタリアとオーストリアの国境に位置する標高3200メートルのアルプスにあるエッツ渓谷にて発見された男性のミイラ、「アイスマン」の呪いである。

このアイスマンを発見した人々も、ツタンカーメンの呪いと同じように次々と亡くなっているのだ。この呪いを最初に受けたと言われているのは、発見時に直接素手でアイスマンに触れたオーストラリアの法医学者ライナー・ヘンである。彼はアイスマン発見の2年後に交通事故で命を落としており、さらに遺体を運送した登山家クート・フリッツは、ライナー・ヘンが交通事故で亡くなったのと同じ年に、雪崩に巻き込まれて死んでいる。しかも、その雪崩に巻き込まれたのはフリッツのみではなく、数人の登山家仲間も存在していたのだが、不思議なことに亡くなったのはフリッツただ一人であったというのだ。この2人を始め、2005年までには、カメラマン・登山家・調査隊の隊長・考古学者・学者など、合計で7名のアイスマン関係者が相次いで亡くなっている。そのためか、一連の事件は「アイスマンの呪い」として大々的に報じられたようだ。

このアイスマンは科学調査の結果、推定5300年前のミイラであることが判明している。つまり、アイスマンはエジプトの墓に眠るミイラ達よりも古い存在ということになる。またアイスマンは凍結されていたことにより、作りかけの弓矢や銅製の斧など、所持品も綺麗な状態で残されていたため、考古学的にも非常に貴重な存在だといわれている。詳細に関しては、現在でもイタリアの南チロル考古学研究所で調査が続けられているようだ。

前述のごとく、「ツタンカーメンの呪い」に関してはマスコミのでっちあげ説が流布しているのだが、「アイスマンの呪い」については未だにその原因となるような事情は明らかになっていない。しかし、ツタンカーメンの呪いのように、今後アイスマンの呪いについても、何らかの裏事情が判明していくのかもしれない。


山口敏太郎



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