●更新日 04/08●


徳川埋蔵金 掘り続けた男 その2


「1868年4月、江戸城無血開城に際して、入城した討幕軍が何を一番最初に捜したと思う? それが御用金、ここに眠る埋蔵金だよ!」

水野翁が語りはじめます。

「当時勘定奉行は小栗忠順。生まれた土地がここ、上野国(群馬県)群馬郡権田村だよ。小栗は江戸城を明渡す前年に引退したから『隠して埋めた』と噂になった。しかし、勤皇派に斬られ死ぬ。確かめるすべがない…」

「時代が変わり、初代、水野智義が幕府軍の武士、中島蔵人から手紙を受取った。これが埋蔵金の手がかりを記していた。豪商だった初代がその手がかりを元に発掘作業をはじめたんだよ…。100年から続く因縁だね…」

130年に渡る発掘作業で地下に縦横無尽に掘られた穴は20kmにも及ぶと水野翁は語ります。しかし、水野一族と埋蔵金の因縁はそんな穴よりも深いのです。

かつて巨大な穴を掘った場所を指差す水野翁
かつて巨大な穴を掘った場所を指差す水野翁

「私も蓄えはある。水野が最後の侍たちから託された“心”がある。実際に穴にもぐって掘った。そんなとき、テレビの連中がきた。彼らも一生懸命だったよ。あれだけの資材も用いての作業は初代以来だね。熱意に打たれて自宅のそばを掘らしたんだ…」
そう案内してくれたのは、かつてテレビで大穴が開いた場所。今では埋め立てられ野原となっています。産廃業者が夜中にゴミを捨てに来るのが悩みだそう…。



「穴というのは不思議なんだよ…。掘っていると1m先に“ソレ”があるかもしれない、そう思って掘り進む。しかし出てこない。するとこの横なのかもしれない、いや、下かもしれない、いや上なのかもしれない…。そうして掘っているとね無心になる…。私は神様とかは信じないけど、人を超越したような気もしてくる。そうして穴を掘り続けてしまったんだな。それが水野家の歴史なのかもしれないね…」


少し寂しそうな水野翁。
現在、水野翁は体調を崩され入院中という。
徳川埋蔵金、伝説のままに終わってしまうのだろうか…。




木之下秀彦



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