●更新日 02/07●


外国人参政権を掲げる仏人ジャーナリストの主張に疑問


外国人参政権の導入の是非について、様々な議論が展開されている。

ジャーナリスト、エッセイストのドラ・トーザン氏は、2010年2月1日の東京新聞に「投票させてよ」と題するコラムを執筆した。外国人参政権を成立させるには、居住国への税金の支払いや国籍といった条件が挙げられているという経緯を紹介し、諸外国と日本を比較して持論を展開している。



「欧州連合(EU)の加盟国内では、“EU基本法”であるマーストリヒト条約によって、市町村の選挙や欧州議会選挙の参政権が相互に保障されている」という。しかし、既に多くの人々によって指摘されてきたように、これはEUという特殊な状況下での戦略的な判断に基づくものであり、そのまま日本に当てはめるわけにはいかない。



氏がこれまで書いてきたコラムのバックナンバーを読んだが、諸外国と比較して日本を裁くという体裁のものが多いようだ。今回の記事にも、そのような記述がある。スウェーデン、デンマーク、ベルギーでは長期間にわたって居住する外国人の地方選挙への参加を至極当然と考えていると述べて、日本では正反対の状況にあると嘆いている。

「また、加盟国外の国民に対しても、国によっては参政権を与えているところもある。とても進歩的な国では、同じ共同体に住んでいることを尊重し、同じように参政権があるとする」との一文もある。ここで、「進歩」という価値を政治的議論に密かに導入する姿勢には、疑問を抱かざるを得ない。



参政権については、それぞれの国家の状況に鑑みて判断し、議論すべき事柄だ。参政権の対象の拡大を「進歩」と形容することは、結論を先取りして、議論を単純化し特定の方向へと導く危ういものだ。かつての欧米列強は、自文化を基準に、他の文化は非文明的で野蛮であると形容し、文明化の必要性を説いた。その時、「進歩」という尺度は植民地政策を肯定するイデオロギーとして機能してきたことを忘れてはならない。

そもそも、氏の母国であるフランスでは、外国人参政権への強固な反対が根強いということについて、どのように考えるのか。選挙権の対象を国民に限定し、地方選挙への参政権についても否定的なフランスの状況には全く触れずに日本を批判するのは、いかがなものか。「日本とフランスの架け橋」をキャッチフレーズに活動するのであれば、自身の前提を一度は疑ってみることが、守るべき最低限のマナーなのではないだろうか。




探偵T



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