●更新日 10/14●


空白期間を乗り越えブレイクも、藤原紀香人気に疑問符?


ミュージカル「キャバレー」に主演し、その大胆な衣装が注目を集めている藤原紀香!

いくつになってもセクシーなその姿は性別を問わず憧れの的になっている。
が、ちょっと見方を変えれば、いつも話題になるのは完璧なボディとセクシーな衣装ばかり……。

華やかな芸能活動の割に、『女優としての代表作』と言われるとこれといって思いつかない人も多いだろう。
視聴率的な代表作は、披露宴(離婚報道含む)と言われても否定できない状態である。


そんな藤原の初メディア露出は、彼女が10代の頃に遡る。
1989年に高校野球のレポーターとして、当時高校生だった藤原がテレビに映ったことは有名な話。
その後、大学に進学して、1992年にミス日本グランプリに輝いた。

翌年からは、東レやアサヒビールのキャンペーンガールとしての活動を始める。
それと並行して、やしきたかじんや島田紳助の番組に出演して巨乳が話題になるなど、関西圏で主に活動を展開した。

このように、当時はグラビアアイドル的な活動をしていた藤原は上京してから頭角を現す。
グラビアやセクシー路線だけでなく、女優としての活動や格闘技番組のゲストをはじめ、活躍の幅とメディアへの露出を広げていった。


気がつけば、いつの間にやら大御所になっていた藤原だが、上京するまでの芸能活動には不明な点が多く、空白の期間もある。

「別の名前で出演した番組がある」と、お宝系雑誌で書かれたこともあった。
他の職業に就いていたという噂も流れたが、その確たる証拠までは流出していない。


「高校野球のレポーターからミス日本受賞までの間にも、何か他にやってたんじゃないかっていう説もあります。東京に進出してくる頃、『下積み時代が相当長い人らしい』って言われてたそうです。それに東京進出といっても、それより前からいろんな仕事でメディアでの仕事を細々と続けてたみたいですね」(出版関係者)


その一例が、フジ「なるほど!ザ・ワールド」に、スポンサーである旭化成の宣伝で出演したことだ。



これは1994年であり、当時の藤原はアサヒビールのイメージガールも兼任していた。

ところで、「謎多き女としてミステリアスなオーラもまた人気の秘密!」と言いたいところだが、実際のところ藤原人気はどうなのだろう?
意外とこちらも謎である。


「長身であのスタイルですから、当然男性人気は高いし、女性にとっても憧れの対象だと思うんですが、それは数年前の話ですね。何かをやる度にマスコミの話題になる藤原ですが、アンケートや投書で話題になることはほとんど皆無。新たに始まるドラマはまた主演ですが、大御所の割に女優としての実力には疑問符がつきますし……」(芸能ライター)


趣味は「女を磨くこと」という藤原。
その芸能活動を振り返ると、それは不動の地位を確立するまでのキャリア磨きの過程でもあったようだ。

後は演技を磨いて、そろそろ女優としての代表作がほしいところ!?



芸能探偵



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