●更新日 06/26●


【速報】マイケルジャクソン急死


今朝、世界のポップスターであるマイケルジャクソンの死亡が確認された。

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▲2006年、来日時のマイケル

7月13日から英ロンドンで約12年ぶりの復活コンサートを行う予定もあり、50公演分のチケット約110万枚がわずか数時間で完売した矢先の悲報に、世界中のメディアが騒然。
衝撃が走った。
詳しい死因は明日の検死を持つほか無いが、病院に運ばれていた時にはすでに心肺停止状態だったという。

ここで、アーティストとしての成功の裏で数々のスキャンダルを繰り返したミステリアスなトップスターの功績を振り返ってみよう。

1966年、兄たちとジャクソン5結成(当時8歳)。
1969年10月、ジャクソン5のメンバーとしてメジャーデビュー。デビュー作がいきなりの全米1に輝く。(その後もシングル4曲が連続全米1)
1971年10月、ソロデビュー。
この頃、モータウンとの金銭的なトラブルも出はじめ、マイケル本人も成長期だけに声変わりやにきびなどのルックス的な変化が追い打ちをかけて、性格が急変したと言われる。
1882年、元ビートルズのポール・マッカートニーとコラボレーション。マイケルはビートルズには版権を買っちゃうぐらい思い入れがあった。親交が深かったという2人の関係は、マイケルが所持する大量のビートルズの版権をポールが譲ってくれないかと交渉したがマイケルが断ったため、その後ちょっとギクシャクしたらしい。
アルバム『スリラー』が世界的大ヒット。(アルバム売り上げの世界記録を更新)
『スリラー』の記録的ヒット後は、家族を巻き込んだ金銭的トラブル、音楽的方向性の分裂などで、マイケルはグループを脱退することに。
1983年、モータウン25周年コンサートでムーンウォーク初披露。
1985年、エチオピア難民救済チャリティーを目的としたUSA FOR AFRICAに参加、名曲「We are the world」をライオネル・リッチーと共作。
1993年、マイケルは少年に性的虐待を行った疑惑で訴えられ、ワールドツアーを途中で断念。
1994年5月、エルビス・プレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーと電撃入籍。
1996年11月、デビー・ロウと再婚。
2001年3月、ロックの殿堂入り。(ジャクソン5としては1997年に殿堂入りしている)
2002年11月、宿泊していたベルリン市内のホテル4階のバルコニーにて、窓から生後数ヶ月になる自身の息子を外側のファンに見せた。「手すりの辺りでブラブラとさせ不安定な状態で危険にさらしたのでは」とマスコミが強烈に非難。日本でもマイケルの奇行とニュースになり話題になった。
2003年、性的虐待疑惑で逮捕。マイケル・ジャクソン裁判が始まる。
2005年、性的虐待疑惑に無罪判決。
2006年6月、『SMAP×SMAP』に飛び入り出演(出演料は約2000万円)。
2007年3月、ファン感謝イベントに参加するために来日。ビックカメラ有楽町本店を貸しきって子供たちのためにおもちゃなどを購入している姿などが話題になった。

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▲こちらはネット上に出回っていた顔の変化。残念ながら2010年はない。

史上最も成功したエンターテイナーとしてギネスに認定しているマイケル。
謎に包まれたミステリアスな人生、50歳という若さでの死、現在ネット上では様々な憶測が飛び交っているが、とりあえず偉大な記録と楽曲の数々は永遠に残リ続けるだろう。



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