12月30日 世田谷一家殺人事件

■推定される当日の犯人の服装

画像3画像4
画像5画像6


■犯人が着用していたトレーナー


画像7
・綿製でサイズは「L」
・「ラグランシャツ」
・胴の部分はグレー色(洗濯を繰り返した痕跡があり、色あせ、クリーム色に見える)
・両腕および丸首の部分は紫色
・生地が薄くTシャツに近いもの

 トレーナーは宮沢さん宅2階の居間で、脱ぎ捨てた形で裏返しの状態で遺留。洗濯を繰り返した痕跡があり、色あせていた。胸の部分に血がつき、右腕そでの先にも多量の血がこびりついていた。前後は白色で胸のロゴや模様などはなく、長そでの両腕と丸首部分は紫色。そで口とすそがやや広がった若者向けのデザインで、身長175〜185センチ用のLサイズ。
 このトレーナーはテレビドラマ「ビューティフルライフ」で人気タレントのSMAPのメンバーの木村拓哉が着用したことをきっかけに流行したデザインをまねたもので、都内の衣料品会社が若者を対象に企画し、中国に2200枚を発注。輸入した商品を山梨県の衣料品会社に卸したもの。山梨県の会社は、昨年8月から12月にかけて同県内を中心として販売、一部は都内の系列店でも売られていたが、完売していた。サイズと色は数種類に分かれていた。
 都内で販売された同種のトレーナーは全種類合わせても200〜300枚とみられ、このうち、現場に残されていたものと同じLサイズは20枚前後。色別で絞り込むと、現場に遺留されていたものと同じ両そでと丸首部分が紫色の同サイズのトレーナーはさらに枚数が絞り込める。

 犯人が脱ぎ捨てたとみられるトレーナーは、昨年8月から12月にかけて現場周辺では隣接する杉並区内の衣料品店一店舗(荻窪駅前の大型商業ビルの店舗)だけで数枚が販売されていた。


■犯人が着用していたヒップバッグ

・深緑色
・ふた付き

 でん部の上に回して腰のベルトで固定する「ヒップバッグ」と呼ばれるタイプで、横幅は約30センチ。犯人が持ち込んだ刃渡り21センチの凶器の包丁がすっぽりと入る大きさ。

 ヒップバッグの製造元は韓国企業だが、1996〜1997年にかけて日本国内にも輸入され、全国の量販店などで2000〜3000円で大量に出回った商品で、現場周辺では荻窪駅前の大型商業ビルの店舗でもこのヒップバッグを数年前まで売っていた。

 現場にあったバックはかなり使い古されたものであった。バッグは、2000円前後で売られており、遺留品には、包丁が突き抜けたような跡があった。ベルトの腰回りは約80センチだった。

 鑑識調査の結果、バックの中に極めて粒子が細かい黄色い砂が微量ながら検出され、この黄色い砂は分析した結果、国内にはない岩塩成分などが含まれており、粒子の大きさや成分、結晶の形状などから米国南西部、特にネバダ州の砂漠の砂に酷似したものであった。

 特殊フィルムの表面に接着してある50ミクロンのガラス球5個、その他にも、チタン酸バリウムという特殊な白い粉末がほんの微量ながら検出された。これは、パソコンなどの電子機器のコンデンサに使われる劇薬物の一種であり、一般の家庭などで発見されるものではない。大学の研究室や化学メーカーの研究者、あるいは化学工場で働く人間など、特殊な人たちだけに付着するもの。
 チタン酸バリウムは国内で流通しているものより50〜80倍も粒子が大きい特殊なもので、鑑定の結果、米国ミズリー州のガラス加工会社が製造したガラスビーズに使われていたものと酷似していることが分かった。このビーズは印刷機器のほか、夜間に車のヘッドライトなどを反射して光る交通事故防止用テープとして交通標識などにも使われ、主に台湾や香港に輸出されていた。
 ガラス球は印刷機のシリンダーに巻き付けて使い、チタン酸バリウムは電子部品製造に使われる工業用劇薬物の一種だが、両方とも付着する可能性のある場所は印刷加工会社しかない(新潮45)


(データなし)


■犯人が着用していた運動靴

(現場遺留靴型より判明)

・サイズは28センチ
・スラセンジャー(slazenger)韓国製

 スラセンジャーは1902年に創業されたイギリスのテニスラケットメーカーで日本では正規代理店がないためあまり有名ではない。

 28センチのサイズは、ライセンス契約を結んでいる韓国のメーカーが99年12月から約四百足製造していた。当初、この28センチのサイズは輸入されていないとされていたが、その後の調べでこのシューズが日本でも売られていたことや、28センチは27.5センチと同じ外枠サイズであることが判明した。

 このブランドのテニスシューズは、都内や埼玉県内などでチェーン展開する量販店が、韓国から正規のブランド品を直輸入し、2000〜4000円程度の値段で3種類販売されていた。都内には三店舗だけで、このうち現場から最も近くで販売していた店は約10キロ離れた練馬区内にあるが、犯人が遺留したトレーナーと同種のものを売っていた杉並区内の衣料品店からは、環状8号線沿いに約5キロしか離れていない。


■犯行に用いられた凶器

画像8
画像9
・柳刃包丁「関孫六 銀寿」

 2階部分に遺留。犯行に使われた凶器は、宮沢さん宅にあった文化包丁と、真新しい柳刃包丁の日本であることがほぼ特定されている。昨年6月に約1500本製造されたもの。
 「みきお」さんの頭からは犯人が持ち込んだとみられる凶器の柳刃包丁の破片が見つかった。刺殺されたのは夫婦と長女のにいなちゃん(8)の三人だが、もう一つの凶器はもともと台所にあった文化包丁のため、最初に襲われたのは「みきお」さんとみられる。
 岐阜県内のメーカー製で、値段が7000円前後する高級品。メーカーによると使用しないときのために箱がついているのが普通だという。凶器の包丁のうち、犯人が持ち込んだと見られる柳刃包丁と同種のものが、犯行前日の12月29日、宮沢さん宅から約3.5キロ離れた小田急線経堂駅前のスーパーで、別々の客が一本ずつ購入していた。

 室内から箱や購入時のレシートが見つかっていないことから、特捜本部は犯人が持ち込んだ可能性が高いとみて捜査していた。また、杉並区のテナントビル内の日曜大工店でもこの柳刃包丁を扱っていた。このビルの衣料品店では、犯人が脱ぎ捨てたものと同じトレーナーも販売されていた。



■黒い防寒用手袋(宮沢さん宅の2階に遺留)

画像10
・黒色
・サイズフリー

 サイズは大きく、黒革の外国製とみられ、国内の販売元によると、2000円前後という。2階台所に遺留、血痕が付着。犯人は、宮沢さんらを刺殺した際、手のひらにけがをしたが、手袋には刃物による裂け目はなかった。特捜本部は、手袋が厚手の素材で室内を物色するには邪魔になることから、犯行時、犯人が手袋を外していたとみている。


■ジャンパー(宮沢さん宅の2階に遺留)

画像11
・Lサイズ
・黒色
・ユニクロ「エアテックジャケット」

 通称「エアテックジャケット」と呼ばれるナイロン製のジャンパーは黒色Lサイズ。若者を中心に人気の全国チェーン店「ユニクロ」で2000年11月(犯行までの2ヶ月間)から約6000円で販売されていた。現場の2階居間にあった黒いジャンパーのそで口から犯人と同じ血液型のA型の汗が検出された。
 その後の鑑識の結果、ジャケットのポケットからは三浦半島の砂が検出されている。


■帽子(宮沢さん宅の2階に遺留)

画像12
・灰色、毛糸織り、黒色ライン入り

 帽子は「クラッシャーハット」と呼ばれ、1998年以降海外で製造されており、国内では1000円前後で販売されている。


■マフラー(宮沢さん宅の2階に遺留)

画像13


マフラーは緑地に赤とだいだい色の格子模様で、長さが約130センチ。


■黒いハンカチ

 二階踊り場付近に遺留。雑貨販売会社の「良品計画」が自社ブランドの「無印良品」として3枚600円で売っている商品で、結び目があり血液が付着していたことから犯人が怪我をした右手の止血に使ったと見られている。その後の捜査ではハンカチで手にする包丁を固定した上で刺していることが明らかになった。
 ハンカチは、フランスのブランド「ギ・ラロシュ」製の「ドラッカー・ノワール」(国内価格は5000円前後)と言う降水が付着していた。この香水は人気歌手や俳優が愛用していると言われ、インターネット上の通信販売で人気が高いという。香水の名前は、フランス語で「黒い(スカンジナビアの)海賊船」という意味。
 この香水は、国内では正規には未発売で、雑貨店や香水専門店などが海外から並行輸入しており、トレーナーなどが販売されていたビル(荻窪駅前の大型商業ビルの店舗)と連絡通路でつながるビル内にある雑貨店でも最近まで購入できた。JR荻窪駅は、宮沢さん宅そばを走る幹線道路「環状8号線」のすぐ東側にある。

画像14


【宮沢一家の略歴】

■宮沢みきおさん

 「みきお」さんは1956年7月、東京都板橋区で長男として生まれた。都立戸山高校を経て、東京大学農学部林学科に入学。大学では森林風致計画学を専攻し、建造物が風景に与える影響などを研究した。東大農学部出身という理由で、捜査本部内では当初、学生運動との関係が囁かれ、公安当局による内偵捜査も行われたが、全く無関係と判明。
 「みきお」さんは在学中、「SF・アニメ研究会」というサークルに所属し、人形アニメに熱中。「アニメ好きのモ明るいオタクモで、芸術からスポーツまで薀蓄があった。ワンダーフォーゲル部に所属して、トレーニングに励み、ハイキングを楽しむなど、決して暗い男ではなかった」との言がある(高校時代の友人)。一緒に人形制作に当たったスタッフの一人も「柔軟な思考を持った人で、作業でも機転が利いて、大助かりだった」と話しており、恨みを買うようなエピソードは出てこない。
 79年には、NHKの人形劇『三国志』の人形制作で知られる人形美術家の川本喜八郎氏の助手として、人形アニメ映画『火宅』や『蓮如とその母』の撮影を手伝った。
 故・手塚治虫氏のファンで、日本アニメーション協会に所属。その趣味が高じて、82年の大学卒業後には 、都市研究所の契約社員を経て、アニメの制作スタッフとなり、編集プロダクションを設立した。
 86年12月、自己啓発セミナーで知り合った泰子さんと結婚。87年、米国大手企業コンサルタント会社の日本支社に入り、シニアコンサルタントの肩書で大手プロバイダ「ニフティ」や富士銀行(現・みずほ銀行)などのCIブロジェクト(イメージ確立戦略)の中心的メンバーとして活躍。91年には、群馬県水上町が「ふるさと創生」の1億円を投じて話題になった町のシンボルマーク製作にも関わった。
 また、自ら「デジタル人間」と称し、96年には共著ながら、『インターネットでわかったこと・できたこと』(技術評論社)を出版するなど、多彩な才能を発揮。著書の中で埼玉県内でのニュータウン建設の仕事に触れ、「新しい街の名前をつくることから始まるタウン・アイデンティティーの開発、そして世の中にどう知らせ、どうイメージをつくるか計画し、プロデュースしています」と自己紹介し、電子メールの宣伝効果を紹介している。
 97年3月に同社を退職し、同年7月に同業他社に転職。1年後には英国の大手経営コンサルタント会社の日本支社に移籍し、同じCI部門のリーダーに就任した。一番新しい仕事は全日空の空港ラウンジのイメージチェンジ戦略だった。
 一緒に仕事をした仲間たちは「真面目で年齢の割には純粋。仕事熱心で顧客の信頼も厚かったが、家族思いで仕事を趣味とみているところがあり、アニメ関係のイベント参加や子供の授業参観を理由に堂々と有給休暇を取る人だった」と口を揃える。実際、2000年8月には「短時間にメッセージを込められるアニメーションの良さを広げたい」と、広島国際アニメーションフェスティバルの運営まで行うほどであった。休日には深夜まで1階の部屋で一人で趣味のアニメーションのビデオを見たり、映画の構想を練ったりする習慣があった。
 だが、「家庭の内情は外から見ただけでは分からないし、本人らも気づかないうちに恨みを買うこともある。かつて、神奈川県平塚市でピアノの音がうるさいと、工員が階下に住む母子3人を包丁で殺害した事件もあったし、必ずどこかに理由があるはずだ」(捜査員)との声も根強い。
 実際、「みきお」さんについて、元同僚からこんな話が飛び出してきた。
「彼は真面目で温厚な半面、頑固で融通が利かず、一度決めたら絶対に譲らないところがあった。会社で営業への配転を断固拒否し、仕事が気に入らないとすぐに転職する。オフィスの模様替えで机をたった2センチ移動させることさえ嫌がったほどだから、些細なことで人と衝突したり、自分では気づかなくても相手の反感を買うことがあったかも知れない」
 さらに、「水面下である会社から引き抜きの誘いを受けており、近々移籍する話が進んでいた」、「アイデアを盗用されたと因縁をつけてきた人物がいて、トラブルになっていた。クリエイティブな職業の人間は神経質で、被害妄想的なところがあり、ヒステリックな犯罪を起こしやすい」、「みきおさんは仕事仲間と新宿2丁目のゲイバーに出入りしており、痴情のもつれではないか」など、さまざまな情報が出てきた。
 しかし、いずれも「情報と事実関係がかけ離れていたり、殺人に発展するほどのトラブルにはなっていない」(捜査幹部)という。
 付近住民からもこんな証言があった。
「自分が気に入らないことがあると、相手が年上だろうが、構わず注意する一面があった。自宅裏の祖師谷公園内で犬を散歩させている人が誤って敷地内に入ったことがあったが、「みきお」さんは直ちに飛んできて『ここは私有地だから、犬を入れるな』と厳しく注意し、公園の管理事務所に怒鳴り込んだこともあった。自宅付近に駐車車両があれば、それが子供の自転車でも、すぐに『どかせ』と文句を言うし、周囲と軋礫があり、それが高じた可能性はある」
 特に、公園周辺は暴走族などの溜まり場になっており、「年末年始やゴールデンウイークを中心に、夜明けまで車やバイクのエンジンを吹かして走り回ったり、花火や爆竹を鳴らし、壁に落書きをして騒いだり、数年前にはリンチ殺傷、集団窃盗事件、最近では鉄パイプで店舗の窓ガラスが割られる事件も起きている。警察に通報しても埒が明かず、たまりかねた「みきお」さんが何度か注意して、2000年夏には逆に、暴走族に囲まれて因縁をつけられ、トラブルになったことがある」(付近住民)という。
 また、公園の管理事務所周辺のコンクリート広場で、数年前から少年たちがスケートボードを乗り回し、嬌声やガラガラという走行音が自治会で騒音問題として取り上げられたことがある。事務所が練習用ループ台設置を許可したためで、午後5時までとの約束だったが、夜遅くまで騒いでいたため、「みきお」さんが一度注意したと言われている。
 こうしたことで、「みきお」さんが逆恨みされた可能性は捨てきれない。
 しかし、成城署では事件当夜、暴走族やスケボー少年らが集合した形跡は確認していないという。
 また、祖師谷の第七分団消防団が午後8時半から9時の間、軽トラックに乗って宮沢さん宅周辺を見回ったが、公園には人けがなく、暴走族のバイク音もしなかったという。


■宮沢泰子さん

 一方、泰子さんは1959年9月、東京都大田区で二女として生まれた。
 81年に、東洋英和女学院短大を卒業後、資生堂に入社。宣伝部に所属した。結婚した後の88年に家事に専念するために退職。同僚の評判は「明るく快活で感じのいい女性。職場では紅一点として人気があった」と上々だ。
 泰子さんは退職後に塾教師の資格を取り、89年から東急目蒲線の奥沢駅前で姉と共に塾を開設。90年12月からは毎週月・木曜日の2回、自宅1階で「公文教育研究会・祖師谷公園教室」を開き、小学生を中心に4歳児から高校1年生まで国語、算数、英語を教えていた。
92年4月に長女にいなちゃん、94年6月に長男礼君を出産。
姉夫婦が海外に移住してからは、教室を姉夫婦宅一階に移し、数年前からは男女大学生をアルバイトに雇うなど規模を拡大していた。 生徒の父母らは「一人一人を熱心に、丁寧に指導する優しい先生。授業を休んだ子に激励のカードを贈ったり、事件直前にも近所の地区会館で生徒の父母を集めて、クリスマス会を開くなど気配りも行き届いており、わざわざ遠くから通ってくる生徒もいたほどだ。トラブルで辞めた生徒やアルバイト学生はいなかった」と語る。


■宮沢にいなちゃん

区立千歳小2年のにいなちゃん(8)は、絵や音楽が大好きで明るく元気な子。バレエのプリマになることが夢だった。3歳のころからバレエ教室に通い、昨年九月には、トーシューズが履けるようになり、週2回のレッスンを3回に増やしたばかり。靴を痛がり、めげてしまう子が多いなか、『どうしてもうまくなりたい』と、休まずに練習を続ける頑張り屋さんだった。
区立千歳小の授業では、毛糸のマフラーを編んだ。和田浄美校長は「すてきね、とほめたら、とてもうれしそうでした。あの姿が頭から離れません」と涙ぐんだ。


■宮沢礼ちゃん

 区立上祖師谷南保育園に通っていた礼ちゃん(6)は、生まれつきの言語障害を持っていたものの、明るく、人懐こく、「けやき組」の人気者だった。「早く小学校に行きたい」と4月からの小学校への進学を楽しみにしていた。事件の1週間前には、孫2人がクリスマスケーキを作ったというので、みきおさんの父の良行さんは一家に呼ばれた。それが孫からの最後のプレゼントとなった。


<<< 事件の概要へ



みなさんからの情報をお待ちしています。

情報受付窓口  

探偵ファイルTOPへ戻る