●更新日 1/21●


京都の秘境・嵯峨野の「ち○ぽの家」 / 血天井


売春宿などのルポが続いたのでスケベ研究家の名が定着しそうになった。
これはやばいと思い、ビシッと歴史研究家の意地を見せようと京都に向かった。

嵯峨野は数ある京都のガイドブックから見放された土地。

そこに摩訶不思議な場所があるという情報をキャッチした。


むむっ・・・確かに異様な石碑が入り口にある。

   
くんーしん【葷辛】ねぎやにら、にんにくのこと      一見、古寺のようなたたずまい
 

そして、私はあまりにもバカバカしい石像群に度肝を抜かれた!!

    
   観音様?   何とバチ当たりな・・・

     
 金玉の肌触りまで忠実に再現している         女陰もあちこちにゴロゴロ・・・・

  
                                    

な、なんだこれは!?無数にある性器の像、また像・・・・

私は吹き出しそうになるのをこらえて近所に聞き込みを開始した。
 

  
        ご近所の加藤さん                 ご近所の老犬さん

そして、このミステリーサークルの謎が解けたのであった。

老犬さんの情報によると、ここの屋敷の主人は石材屋で、十年ほど前に北陸の温泉場から
客寄せのオブジェで使う石像の注文を受けたが
 

あまりにもエグすぎて
 

温泉場からキャンセル、つまり
 

返品を喰らったのだった。合掌・・・・・・
 

ご主人はご近所からの苦情をものともせずこれらをチン列し続ける 、かなりの変人らしい。
会ってみたくなり訪問したが、残念ながら一週間の小旅行中であるとのこと。
奥さんから電話番号を聞いたのでヒマなときにかけてみよう。

石像が欲しいと言ったら、いったい
 

いくらで売ってくれるのだろうか?
 

興味の尽きない嵯峨野の秘境探検であった。
そして、スケベ研究家に、また一歩近づいてしまった。

 

 

PART2   京都ならここに行くべし

 

完全に名誉挽回編であるからして、スケベしか興味の無い人は立ち去るが吉。


もし、これから京都に行く予定があるのなら、こんな旅もお勧め。

 

  

人里離れた茶屋でぜんざいを食べながら

 


 

女の子をナンパするのもよし

 

 

 


源光庵の悟りの窓】と【迷いの窓】を見ながら

 

座禅を組むのもよし

 

 

天井の足跡を見ながら古寺に泊まらせてもらったり・・・・

 

京都はゆっくり歩く、が大吉。
 

 

資料

                  源光庵 「血天井」

慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いが起きるより前、太閤秀吉死去後に伏見桃山城に入っていた家康は上杉景勝、進軍の情報を聞き、江戸に帰ることになる。その際、桃山城に鳥居元忠一党を残したのだが、元忠の 「できるだけ多くの兵を連れて行ってください」との進言により残ったのは鳥居一族1800余名。家康が江戸に入るのを確認後、石田三成は元忠に豊臣への帰属を迫るが、元忠はこれを拒否。結果、交戦となった。
この「血天井」は、篭城した元忠ら、380人が自刃した時の痕跡が血の染みとなって残る板を当時、徳川家と密接な関係に有った源光庵が引き取り、供養し た。 
血の染みには手形、足跡などがハッキリと確認できるものまで有り、当時の凄惨な様子を今に伝えている。







                   悟りの窓  迷いの窓

正式名を 「鷹峰山宝樹林源光庵」 と号し、貞和ニ年(1346年)に臨済宗、徹翁国師が創立したもので有るが、元禄七年(1694年)に曹洞宗、卍山道白禅師が住持することにより、改宗。
本堂には、悟りの窓という円形の窓と、迷いの窓という角形の窓が有り、悟りの窓は禅と円通の心を表し、迷いの窓は人間の一生を象徴して、「生老病死」と「四苦八苦」を表す。
 


源光庵 住所:京都市北区鷹峰北鷹峰町47