●更新日 07/18●
『侵入者あり1』 〜精神科医ヤブ
「家の中に男の人が入ってくるんです」
弥生さんはそう言って顔をしかめた。そんな彼女の後ろには、彼女の両親が困惑した顔をして座っている。弥生さんは真剣な表情だ。さて、いったいどういうことなのか……。
弥生さんは大学2年生で、親元を離れてマンションで一人暮らしをしている。オートロック付きのマンションだ。
1ヶ月前、弥生さんから実家に電話がかかってきた。電話に出た母親は、弥生さんの声を聞いて落ち込んでいると直感した。その2週間後、再び弥生さんから電話があり、弥生さんは母親に
「家の中に人が入っている!」
と言ったのだ。弥生さんがそう考える根拠は、
「風呂場の水道の蛇口をわざと少しだけ開けられていた」
「テレビの主電源が切られていた」
「歯ブラシの向きが変えられていた」
「ベッドの布団の位置をずらされている」
「もしかしたら盗聴器が仕掛けられているかもしれない」
といったものだった。これを聞いた母親はすぐに父親と相談し、娘を連れて精神科にやって来たのだ。
統合失調症の被害妄想にはいろいろな内容がある。「宇宙人が夜中にストローを伸ばしてきて、口から毒を入れられる」といった壮大なものから、「尻の穴を痛くさせられる」みたいに性的な要素が入ったものなど様々である。どれも家族からしてみたら、「そんなバカなことがあるもんか」と言いたくなるものだが、当の本人はいたって真剣である。
「えーっと……、弥生さんがいる時には誰も入ってこないんですよね?」
「はい」
「いつも弥生さんが不在の時に入ってきている」
「そうです」
「部屋に入って来ているのが誰かは分かっているんですか?」
「多分……」
この会話に両親は戸惑った表情をした。精神科医から弥生さんに「それは妄想だ」と伝えてくれると期待していたのかもしれない。しかし、こういう時、私はまず患者の言い分をとにかく聞く。そして、合理的・現実的に説明ができないか考えながら、何はともあれ信じようと試みる。
「犯人の目星はついているということですね。それは、誰ですか?」
「……、付き合っていた人だと思います」
「つまり、あなたがふった相手がストーカーしている、ということですね?」
「……、いえ……、ふられたのは……、わたしです……」
弥生さんは少し涙ぐんで、うつむいてしまった。
弥生さんが恋人にふられたのは1ヶ月前。ふられた男がストーキングするなら分かりやすいが、自分がふった女性にわざわざストーキングするものだろうか?まぁそういう奇特なケースがあってもおかしくはないか。
「その元彼からは合鍵は返してもらっていない?」
「いえ……、もともと合鍵は渡していません」
「うーん、とすると……、どうやって入ってきているんだろう……?」
そう呟きながら、私は弥生さんと両親をこっそり観察した。これは返事を期待しない独り言ではあるが、弥生さんにわざと聞かせてもいる。弥生さんも不思議そうに首をひねっている。一生懸命に考えているのだ。その証拠に、もう涙目ではない。両親も顔を見合わせて考え込んでいる。そんな三人を見ていて、ふと良いアイデアを思いついた。
つづく
ヤブ
弥生さんはそう言って顔をしかめた。そんな彼女の後ろには、彼女の両親が困惑した顔をして座っている。弥生さんは真剣な表情だ。さて、いったいどういうことなのか……。
弥生さんは大学2年生で、親元を離れてマンションで一人暮らしをしている。オートロック付きのマンションだ。
1ヶ月前、弥生さんから実家に電話がかかってきた。電話に出た母親は、弥生さんの声を聞いて落ち込んでいると直感した。その2週間後、再び弥生さんから電話があり、弥生さんは母親に
「家の中に人が入っている!」
と言ったのだ。弥生さんがそう考える根拠は、
「風呂場の水道の蛇口をわざと少しだけ開けられていた」
「テレビの主電源が切られていた」
「歯ブラシの向きが変えられていた」
「ベッドの布団の位置をずらされている」
「もしかしたら盗聴器が仕掛けられているかもしれない」
といったものだった。これを聞いた母親はすぐに父親と相談し、娘を連れて精神科にやって来たのだ。
統合失調症の被害妄想にはいろいろな内容がある。「宇宙人が夜中にストローを伸ばしてきて、口から毒を入れられる」といった壮大なものから、「尻の穴を痛くさせられる」みたいに性的な要素が入ったものなど様々である。どれも家族からしてみたら、「そんなバカなことがあるもんか」と言いたくなるものだが、当の本人はいたって真剣である。
「えーっと……、弥生さんがいる時には誰も入ってこないんですよね?」
「はい」
「いつも弥生さんが不在の時に入ってきている」
「そうです」
「部屋に入って来ているのが誰かは分かっているんですか?」
「多分……」
この会話に両親は戸惑った表情をした。精神科医から弥生さんに「それは妄想だ」と伝えてくれると期待していたのかもしれない。しかし、こういう時、私はまず患者の言い分をとにかく聞く。そして、合理的・現実的に説明ができないか考えながら、何はともあれ信じようと試みる。
「犯人の目星はついているということですね。それは、誰ですか?」
「……、付き合っていた人だと思います」
「つまり、あなたがふった相手がストーカーしている、ということですね?」
「……、いえ……、ふられたのは……、わたしです……」
弥生さんは少し涙ぐんで、うつむいてしまった。
弥生さんが恋人にふられたのは1ヶ月前。ふられた男がストーキングするなら分かりやすいが、自分がふった女性にわざわざストーキングするものだろうか?まぁそういう奇特なケースがあってもおかしくはないか。
「その元彼からは合鍵は返してもらっていない?」
「いえ……、もともと合鍵は渡していません」
「うーん、とすると……、どうやって入ってきているんだろう……?」
そう呟きながら、私は弥生さんと両親をこっそり観察した。これは返事を期待しない独り言ではあるが、弥生さんにわざと聞かせてもいる。弥生さんも不思議そうに首をひねっている。一生懸命に考えているのだ。その証拠に、もう涙目ではない。両親も顔を見合わせて考え込んでいる。そんな三人を見ていて、ふと良いアイデアを思いついた。
つづく
ヤブ
・『野々村竜太郎、もしかして躁状態!?』/ヤブ ・「キチガイのライセンス」 精神科医ヤブさんの日記 ・「キチガイのライセンス」後編 精神科医ヤブさんの日記 |