●更新日 10/15●






憂鬱シリーズ   〜お坊さん   



BOSSです。
先日、だいきちの四十九日で中野のお寺に行きました。
たかが犬っころですが、2時間近くかけて人間様と変わらぬ供養をしていただきました。
お布施は定額の1万円です。



以下、知り合いの住職さんにQ&Aです。



経てこられた修行は厳しかったですか?
厳しいですよ。10人に2人は逃げ出します。道場に4人が入って4人とも逃げてしまったなんてこともありますよ。
かなり厳しいのですね?
何も人外のことをするわけではありませんが、しかし刑務所より辛いと思います。
修行を受けると8割の人は性格が変わります。「ぐうたら」していた人は「テキパキ」と。本当に人間が変わりますよ。
それはすごい。企業の研修などで効き目がありそうですね?
実際、企業の研修で取り入れているところもあります。ただ、私達がやっているような修行と同じくとなると無理ですね。なにしろ、尋常ではなく厳しすぎるので。
それに「研修」と「修行」は別物です。少なくとも「君、ぐうたらしているから修行して人間変えてみようか?」といったものとは違うでしょう。修行はそういった目的のものではありませんから。
具体的にはどんな点が辛いのでしょう?
最初はとにかく眠れないことが辛いですね。
修行をはじめて3〜4ヶ月は1時間から2時間くらいしか眠れません。そして、行動は全てキビキビとやらないといけません。「布団を畳む」という動作も30秒くらいですから、寝ぼけてはいられませんよ(笑)。



修行開始。この体勢で数日間耐え、やっと本山の敷居をまたぐことが許される。
もちろん読経していないと寝ているとみなされて厳しい罰を受ける。



他に修行の辛い点というと?
修行僧は檀家の方の食事に呼ばれたときには、出されたものは全て食べなければならないんです。添え物だろうが、一升瓶だろうが、調味料も含めて、全て。
調味料も含めて? 例えば「ギョーザ」を出されたら「醤油」も「ラー油」も、一瓶全部ってことですか?
そうです。
「イッキマン」ですね?
いえいえ、イッキするんじゃなくて(笑)。 食事でなんとか消費するわけです。ですから、量が多かったりすると大変です。中座してトイレを貸してもらい、そこでこっそり食べたものを吐いて、戻って食事を続けるなんてこともあります。
修行中に逃げてしまう人はどんな人でしょう?
一言でいうと覚悟の足らない人ですね。修行というのは「覚悟」と「ストレス」のバランスでして、「覚悟」が「ストレス」に負けてしまうと、その人は逃げ出してしまいます。

面白いエピソードなどはありますか?
へんな外国人の方が訪ねて来られたことがありますね。
海外の新興宗教の方らしいのですが「アイ アム ゼン(禅)マスター!!」と騒ぎ立ててました。何のために来たのかもわからない(笑)
どうなったんです?
話にならないから帰ってもらいました。
僧侶二人で脇を抱えて持ち上げて、門前まで連れて行って「ぽいっ」っと(笑)
失敗談はありますか?
何しろ眠る時間が少ないものですから、それで失敗をするお坊さんもいます。
お経を読んでいるときに、あまりの眠気でばったり倒れてしまったとか。
あと、寝ぼけてしまって、読経にあわせて木魚を叩いているつもりが、はたと気がつくと隣に供えられたメロンを一心に叩いていたとか(笑)
それを見て、檀家の皆さんは声を殺して笑っている、と。(笑)マンガみたいですね。
あと葬式の時に戒名が読めないなんてこともありますね。
慣れていれば「〜%&$#〜」って感じでごまかすんですが、慣れていない僧侶は固まってしまいます。

このお仕事をしていてよかったと思うことは?
やはり、人の悩みを軽くしてあげることが一番ですね。
お葬式で、身近な人を亡くして落ち込んでいる方にお話(説教)をして「気持ちが軽くなりました」と喜んでもらえれば、それはとてもうれしいです。
他にも、悩みを抱えて訪ねてこられた方とお話しし、喜んでもらったりお礼を言われたりすると、やりがいがあるし、うれしいですね。
経済面で見た場合、寺院の仕事というのはどうでしょう?
具体的には「お布施」の他は、「維持金」とか「負担金」とかいう名目で檀家の方からいただくお金が、年間5千円から1万円くらいでしょうか。本山から行事の際にいくらか援助があったりもしますが、経済的に裕福かというと決してそんなことはありません。
宗教関係は裕福というイメージもあるようですが?
お寺としては儲からないですよ。「お布施で100万円を包んだ」なんて話もありますが、そういう檀家の方の寺院は出費も大きいです。仏具を一つとっても、凄く高価ですから。
税金がかからないから儲かるなんて話をよく聞きますが?
「法人税はかからない」というだけですよ。他の税金はきっちりかかります。税務署も普通にやってきますしね。お寺が儲かるというイメージは、映画とかで動くお金が大きいシーンとかの誤ったイメージじゃないでしょうか。

金銭的に裕福な仕事とは言えないわけですね。
そうですね。世の中がだんだん悪くなりえる今の時代、お寺も変わっていかなければならない。今のやり方では、数十年後には、お寺は全部潰れてしまう。そういった危機感がすべてのお寺にあります。
千葉では過疎化による廃寺が全体の30%を超えたらしいですもんね。
お寺同士の話で「檀家を引き抜かれる」といったことは?

さて? それは都会の話なんじゃないかと思います。少なくとも、私の方では聞かないですね。
檀家というのはそもそも、先祖代々のものですから、よっぽどのことでないと変わることはないです。例えば「今の和尚にはとてもついていけない」とかですかね。
お寺が「うちのところへいらっしゃい」と勧誘(?)するというのはないでしょう。
檀家を「顧客」というふうに考えればそういったこともあるかもしれませんが、普通はそういう風には考えないものです。




     アンコールワットの若き僧侶  (2004夏 撮影)




お師匠様はどんな方だったんですか?
私から言うのもなんですが僧侶として大変できた方で、初めてお会いした時は「なんだこのバケモノみたいな人は?」と思ったものです。実に、昔ながらの僧侶、といった方でして、檀家の方からは「最後の名僧」とも言われてました。
他のお知り合いで凄い方などはいらっしゃいますか?
雲水(修行僧)の先輩で、九州から京都まで托鉢しながら歩いて帰ったという方もいらっしゃいますよ。その方は修行8年目の方ですが。
その方はずっと修行中ということですか?
はい。
8年間ずっと修行中の方がいるとなると、僧侶の修行というのはどこで終了とか卒業になるわけですか?
一応は「老師」になると、免許皆伝といったことになります。しかし、老師になったからといって何が変わるわけでもなく修行は続くわけですが。
つまり、僧侶は生涯修行中であり、寺院で住職を務めるということは一時的に修行の場所が変わるということにすぎないわけです。終了とか卒業とかはないんですよ。
これから「僧侶になりたい」「お寺の仕事がしたい」という人に伝えたいことは?
「覚悟が必要ですよ」ということですね。
「死んでもかまわない」というくらいの覚悟が必要です。
実際、修行道場に入ると「誓約書」を書いて捺印しなければなりません。
これは漢文で書くものなのですが、内容を簡単にいうと「腕がちぎれようが、足がもげようが、死んでしまおうが、何一つ文句は言いません」というものです。実際、修行はかなりきついですからね。

では、最後になにか読者に伝えたいことはありますか?
「探偵ファイル」の読者の方は大体、日本人だと思いますが、『なるべく、お寺におまいりに行ってください』ということですね。あと「お寺も商売」とは思わないでほしいです。寺院は仕事ではあるけれどお金儲けの経済活動ではありません。お寺は会社ではないし、檀家は顧客ではないです。「サラリーマン坊主」みたいな言い方をされる時もありますが、多くの僧侶は真摯に務めています。そのあたり誤解のないようにお願いしたいですね。



ー後記ー


警察官や自衛官もそうですが、悪い事を考えるのは全体の0.05%。
どこの業界でも同じと言えそうです。



BOSS



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