●更新日 02/17●

少女の自殺 〜山木視点〜


書いた人は山木です



優子ちゃんが亡くなってから、もう一ヶ月が過ぎようとしています。
事務所にて死の一報を聞いた時より探偵ファイルスタッフ一同、誰もがこの案件に関わって参りました。
その中で、優子ちゃんと直接のやり取りをしていたBOSSや八坪さんは、見ているこちらが気の毒に思えてくるような毎日を過ごしている中で、僕のように「優子ちゃんと一切面識が無い」スタッフもいます。
だからこそ思う事もありました。優子ちゃんとも、○○教師とも全く面識が無い私が感じる今回の裁判の矛盾点を書いてみようと思います。


※本日のスパイニュース、長文です! 興味のある方のみどうぞ あと、今回のニュースは完全なる山木の主観であり、裁判の流れに異を挟むものではありません


まず第一に、記事中で「優子さんは警察に届け出る意図は無い」とし「刑事責任の追及はしない」と述べています。

この部分と、次の部分。

優子さんは精神的に不安定な人物だ。その供述はとても信用できない。

精神的に不安定な人物の供述は信用できないということなら、なぜ「警察に届ける意図はない」、「責任の追及はしない」という、教師にとって都合がいい発言だけ信用するのでしょうか。このような発言も、精神的に不安定な状況でなされたものであって信用できないという可能性を、教師側の論理では排除できないと思うんですけどねぇ?

この教師は、彼女の言うことは信用する、しないというダブルスタンダードを取っていることになり、その際に、自分に都合のよい発言だけを信用に値するものと見なす合理的根拠はどこにあるんでしょうか?


そして、この教師側からの反論

「優子さんは警察に届け出る意図は無い」とし「刑事責任の追及はしない」と述べている。
それなら、やはり、公共の利害に関わるとは言えない。

彼女がこのように考えていたことが仮に事実であったとしても、その主張をそのまま受け入れることはできないでしょうよ。
なぜなら、現代社会においては、判断能力の十分にある成人を、自己決定権の対象としているから。

優子ちゃんくらいの年齢になれば、確かに判断能力は養われていてるのであり、臓器移植法の現状を見ても、15歳以上の患者の意思を有効なものとしています。
これは、民法における遺言の可能な年齢との類比によって定められたものであり、脳死・臓器移植に関してもその年齢になれば、自らの力で考えて意思表明を行えると見なされています。ただし、遺言の場合もそうであるように、ここで未成年者の意思が最大限に尊重され得るのは、その決定が個人の生死、あるいは当人の人生において極めて重要な決定だからです。
例えば、喫煙・飲酒は未成年は禁止されていますが、これはしなくても生きていけます。しかし、当人の死のあり方を決める問題については、当事者の意思を全く無視して親の決定だけを優先することは妥当ではありません。

しかし、臓器移植法のガイドラインが示すように、上記の15歳以上の患者による決定は、本人が精神的に見て問題のない場合に限られており、患者に精神的な問題がある場合は、たとえ本人の意思表明があったとしても、それに基づく脳死判定や臓器移植は認められていません。

この事を考慮して今回の事件を考えると、教師が彼女の発言は精神的不安定ゆえに信頼できないということであれば、日本の現行法の観点から考えた場合、本人の意思表明は有効とは言えません。つまり、警察に届け出る意図はない、責任追及はしないという彼女の主張を無条件に受け入れるわけにはいきません。
しかし、それでも本人の意思をできるだけ汲もうとするならば、例えすぐには警察に届けないとしても、それに順ずる対応を何らかの形でする必要があります。すなわち、意思表明が有効でない者に関しては、当人の決定をそのまま認めるわけにはいかないので、他者による介入が正当と見なされるのが通常。

通常ならば、親がその対応をする必要があったのですが、十分になされませんでした。
そうであるならば、他の相談相手(BOSSなり八坪なり)が介入しなければならないのであり、これは公共の利害に関わります。


仮に、親が「十分に対応した」と言うにしても、実際に優子ちゃんはその対応に納得できなかったのであり、そうした場合に家族以外の人間に助けを求めること、そして助けを求められた人間が対応することは正しい。

親の「十分に対応した」という発言が無条件に受け入れられるというなら、各種の相談所も不要になります。

現実に十分な対応ができていないからこそ、こうした相談所等が必要なのであり、ここにおいて介入が正当と見なされるということは、これが公共の利害に関わることであるということの証明になっています。


まぁ、、、あまり決め付け、ほのめかしをするような文章を書くと、「裁判で決着を付けるんだから、ゴチャゴチャ書くな。司法の判断を信じられないのか」って、どこかの誰かが言い出しますからこの辺にしときます。


裁判ってのは、難しいですよねぇ、、、


まぁ、死者は何も語ってはくれない以上、状況証拠だけが真実となってしまう。


だからこそ、優子ちゃんは死を選ぶべきではなかったですよ。
死んで得られる幸せなんて、生きてることの幸せに比べれば、未来を閉じるだけ・・・とも思います。





こんな事考えてたら、生きている山木はお腹が空きました。 現実はいつだって、冷静なんです、ハイ。





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