●更新日 11/06● |
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リストカットと、大阪の女子についての考察
書いた人は山木です
まず、最初に。この記事は全て山木の主観です。ですが、探偵ファイルを代表して記事を書いてはいます。 大阪での殺傷事件。探偵魂で少女のHPを取り上げたところ、「少女のどこがイタイんだ!」「リスカを侮蔑している、謝罪しろ」というメールが殺到しました。 「探偵ファイルとして、編集長山木としての公式見解を出せ!」という意見もありましたっけ。 では、今回は探偵ファイルを代表して、山木の意見を書かせて頂きます。 あの記者は誰だ?直接文句を言いたいという人は、こちらにメールを ここから先は僕の主観ですから、不快に感じられても致しかたなし。主観の無い意見なんて存在しないですから、「言葉の配慮が足りない」とか「ナメてるのか」というメールは出さなくて結構。 山木は、こういう事を考える人間だと思ってくれれば、それで良いです。 まず、第一に。この事件は「少女の精神的な云々」とか、「誰かに救いを求めていたのにどうしようもできないからリスカを云々」とかの意見を持っている人がいるかもしれません。 だから、「イタイという言葉は少女を馬鹿にしている」という趣旨になるのかな? 僕の意見を端的に書きますと、「狂った人間が自分勝手な世界求めて、同調者と犯罪を行った」だけだと思います。結果的にこの犯罪者達がリスカを行っていたり、自分の考えを詩にしていただけでしょう。 リスカについても思うことは、どんな理由があるにせよ、自分の肌傷付けて何か得られるモノが本人の中であるなら好きなだけやれば良いと思います。ただ、僕はそれについて理解することは出来ませんが。「リスカをすると自分の弱さに酔えるんです」という、元リストカッターからの意見がありましたが、それで何か得られるものは有ったのでしょうか。 手首や太ももに自傷の痕が残っている方は、どんな理由を付けた所で今の社会では少数派。 他人から奇異の目で見られるのも厭わないと思っているなら、他人が口出すことは何もありません。 大阪の少女のHPを見て僕が思うことは、この娘は心理学的言説が過剰です。 幸福や自分探しといった思考、「幸せ=心理的なもの」という定義づけ、「存在意義」、「偽善」、「愛」といったキーワード、「大脳皮質」など不要に生理学的言語を用いる傾向が強い。 それから、「この世じゃ真の幸せなんて見つからないよ」という発言が有りましたが、これがこの事件の行動原理全てなのではないでしょうか。 これが両親の殺害という選択肢、更には自殺という選択肢につながっていると思います。 本当の精神分析的に見れば、「自分探し」などありえない、というのが正しい見方。それなのに、通俗的な心理学においては、自分探しが定番になっていたりしています。 この違いがどこから来るかというと、精神分析では、「本当の自分」というものの実現を否定することが、健全な主体ということになる、という点にあるから。なぜなら、アイデンティティの形成とは、自らにとっての否定を媒介として成立するからですよ。分かりやすく言えば、先日の記事にあった近親相姦が、まさにその例です。 近親相姦を選択するような主体は、社会から冷たい目で見られがちになる。それは、そういう性癖の人がいると、社会の安定的な秩序や、それに基づくアイデンティティが不確かなものになり得るから。したがって、社会の秩序は自らにとって否定的なものを禁止として位置づけます。 逆に言えば、このように禁止によって何らかを否定するからこそ、自他を区別してアイデンティティが成立します。ということは、アイデンティティとは、このように自らの破れ目を不可欠なものとして成り立つのだから、その破れ目を否定して、「真の自分」という閉じたものを作ろうとすることは、正常な主体ではなくなることになるからですね。 ところが、近代的な自由民主主義社会の理念や秩序がグローバル化の中で揺らいでいる今日では、大多数の人はアイデンティティの揺らぎに直面するのであり、そこで聞き溢れた心理学的言説がそれを補う役割を担っているのだと僕は思います。 その時、多くの人々が「本当の自分探し」に走り、それを実現することができない場合に選択されるのは、自分にとってアイデンティティの揺らぎや生きていく上で障害になるものの抹消を考えるということ。それが極度になれば、そのような存在を殺してしまうのであり(両親の殺害など)、それでも真の自分が実現されないということが明らかになるなら、最終的には主体そのものの抹消(自殺)によって決着をつけるしかないことになります。 けれども、上記のように、アイデンティティの危機において自身の絶対的な肯定(真の自分を想定すること)も、逆に自身の絶対的な否定(自殺)も、どちらも本当は神経症なのであって、通俗的な心理学では、この点が常に不問になっているから、それらによって返って今回のような事件の傾向を助長することになってしまう。 つまり、「私もリスカをしていました」などと自身のトラウマなどを語ることで、神経症を装うことを一つのブームとして消費する一方、通俗的な心理学の流布によって、社会全体で見ればかえって神経症が増えていると言えるのかもしれません。 とまぁ・・・長々と書いてしまいましたが、現代社会においては若かろうが成人してようが、何らかの悩みくらいは持っていますよ。 それをこの少女は自己論理で武装し、「私達はこの世の中でただ一人。一緒に生きてくれる人より、一緒に死んでくれる人がいい」とばかりに、家族を殺そうという結論になり、それを実行した。 僕は、そういう人を「イタイ人」と呼称しても良いとは思います。 以上の理由により、TAKAが書いた「少女はイタイ人」という件に関して、謝罪などは考えていません。 |
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